[コメント] 花籠の歌(1937/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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銀座の河村黎吉のトンカツ屋、髪飾りつけて注文取っている看板娘の田中絹代と、本場仕込み(中国はトンカツが本場なんだろうか)のコックの李徳大寺伸と、東北弁の女中おてるさん出雲八重子と四人が働く。店は絹代の愛嬌と徳大寺の腕で繁盛している。笠智衆は徳大寺を立志伝中の人物だと褒める。徳大寺は詩を読み、西条先生崇拝していると語り、出雲と仲が良く、絹代に片思いで雑誌に載ったピンナップを切り取って部屋に貼っている序盤。
学生の常連が佐野周二と笠智衆。二階の徳大寺の部屋借りて昼寝して談判。佐野は田舎で養子断って喧嘩してきて、勉強できないし大学出てからも三四年は遊ばなきゃと云っている(就職口がないという意味だろう)。佐野は絹代のために東京を去り難く、絹代は佐野が養子断ったこと聞いて喜ぶ関係。
僧侶の息子の笠が念仏上げる亡母の十一年忌。親戚の岡村文子、谷麗光夫妻が来訪、常連客の大山健二から花が届き、岡村は彼は金持ちの医者、絹代の婿にどうだと作戦通り押しまくる。絹代は困って、いま23と父に云い残して部屋を出てゆく。年頃だから恋人ぐらいいるという意味なんだろう。こりゃ駄目だと河村は絹代の好きな人は誰だと尋ねて回り、徳大寺はその人との結婚許すかと問い、好き同士なら仕方ないなとの返事を聞いて徳大寺は照れて出て行く勘違い。
河村は笠に聞いて佐野を一本釣り、トンカツ屋と継がんかと頼んで岡村らと談判(これも徳大寺の部屋使っている)、その件カウンターで漏れ聞いた徳大寺は困惑し、絹代は徳大寺の相手は出雲と語り、徳大寺は悄然として川辺で膝抱えている。
次のカットで時制は進み、佐野は調理場で調理していて、徳大寺は部屋で寝ている。徳大寺は店を出ることになり、絹代の切り抜きを壁から外す。出雲は餞別渡して、好きだったのに縁がなかったと率直に云い、徳大寺はまたいいことありますよと投げやりに応える。
別れ際に徳大寺は、笠に私の気持ち知っていたのに(そんな件はないのだが、欠落したかも知れない)佐野を紹介したのを恨むぞと泣き崩れ、笠は謝り、絹代は「好きよ、忘れないわ」と微笑みかけ、出雲は泣いて、四人で盃交わす。失恋して泣き崩れるという造形は当時の日本の男には殆ど施されない演出で、中国人ならあり得るという見識なんだろう、新鮮に見える、ただ、彼に振られた出雲の立場は微妙で、ここがしっくりこなかった。彼女も店を去り女給になったと噂される。
終盤は蛇足。すっかり客の減った店に斎藤達雄の刑事が入ってきて佐野を連行し、彼のアパートで一度佐野と言葉を交わしていた美人女給殺人事件の新聞記事が出る。絹代はお父っさんは私を騙したのね、河村はお前が好きだっていうから結婚させたと喧嘩。しかし佐野は参考人で呼ばれただけと判り、絹代は他に女はいないのかと詰め寄り、佐野は君に会ってからはいないと答える。しかしそれから徳大寺の手紙が届き、捧げられた詩を読んで絹代は悦んでいるが、絹代こそ二股かけているという矛盾を映画は説明しないのだった。最後は、これからはすき焼きで儲けるぞとか云っている。
次女の凸ちゃんは子供連れて港へ散歩に行くとき「軍艦観れるかな」「観れるわよ」と会話しているが、銀座近辺、隅田川ででも観られたのだろうか。凸ちゃんは俳優養成所に通うらしく、いつになったらスターになれるのかしらと内輪ギャグ。絹代は臥せっている徳大寺に「浅田飴」持ってきて咳なんかすぐ治っちゃうわよと云っている。店に銅鑼叩いて入って来る幇間みたいなのを絹代が即座に追い出し「あんなの入れちゃ駄目よ」と佐野に注意するのだが、あれは何者だろう。銀座は昼はアドバルーン、夜はネオンサインでムーランルージュような羽根が回っている。原作「豚と看板娘」。歌謡映画だが誰が歌っているのか表記なし。編集渋谷実。再見。
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