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[コメント] ゼイリブ(1988/米)

OBEYとRESTORE
山ちゃん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この頃からマッチョは冷戦終結間近で陰りを見せ始めていたと思う。ここでいうマッチョとは、単純にマッチョマンに限定されず、社会的なものでもあるし、文化的なものでもある。そして本作は、現在の社会システムである消費社会を陰謀論的に解釈しつつ、陰りあるマッチョを復古するかのように誇示しているかに思える。そして、廃退に満ちた哀愁の漂う音楽も相まって、マッチョに懐古的な思いを馳せてしまう。

 本作には、見えざる洗脳により「服従させる(OBEY) 」知的エイリアンVS拳で服従させるマッチョ人間という対立構造が見いだせる。そして、知的エイリアンがもつ技術等について、なんとなくそうらしいという感じで淡々とすませながらも、マッチョが眼鏡をかけるかけないかの一見どうでもいいような揉め合いに異様に長く時間をかける。彼らは、なぜ延々と殴り合うのか?なぜ、マッチョは、意地でもサングラスをかけようとしない(=服従しない)のか?拳のぶつかり合いで、ズシンと響く重たい拳が五臓六腑に染み込んで、ついにその拳に打ち負かされたとき、彼らは、初めて服従するのである。それに対してインテリ層はどうだろう?エイリアンの洗脳に気づかず、あっけらかんと何も考えることなく、消費し、出産し、服従する。この鮮やかな対比は印象的だ。そして現代の消費社会を現行服従システムとでも位置づけるのであれば、かつての力で服従というマッチョ社会の服従システムへの復古のほうがましだと思えてくる。 

 しかしながら、本作もまた、逆に言うと、マッチョ礼賛への洗脳映画かもしれないとも思える。あえて強引に現代の消費社会のメカニズムを陰謀立てて、こんな洗脳社会に服従させられるよりは、マッチョに服従されたほうがマシでしょ?みたいな感じがする。とすれば、この映画もなんらかの眼鏡で見たらマッチョ社会に回帰せよ(RESTORE)とメッセージを発してたりしてるかもしれない。

(評価:★3)

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