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[コメント] 續姿三四郎(1945/日)

「闘争とは大きな統一の道程なのだ」なる師匠の大河内伝次郎のヘーゲルみたいな歴史認識は、柔道>柔術>唐手>ボクシングと止揚されるのだった。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前作と比べてもまるで冴えていない。雪山の対決の退屈さはクロサワ史上、下から数えた方が早い出来で、その他前作の反復である冒頭の池ポッチャンも地味だし、庭の池潜るアクションもないし、辻斬りはなぜか結果だけ示す手抜きだし、轟夕起子もほとんど見せ場がない。物資不足の制限ありありで、月形龍之介のややこしい二役も俳優不足だったかと思わせられる。しかし、45年の邦画はOPのスタッフキャスト紹介は省かれるのが普通だろうに、これが例外的に残っているのは不思議。

黒澤は山中貞雄と同い年なのに兵役に取られなかった。軍寄りの東宝がかけ合って徴兵されなかったのが山本嘉次郎、宮島義勇と黒澤で、宮島はこれを認めているらしい(「黒澤明の十字架」指田文夫)。黒澤本人は、検査官が父の弟子で配慮してもらったと書き残しているが、いかにも嘘くさいし、本当ならそのほうが問題だろう。彼等は軍の要請の映画を撮るために戦争に行かなかった。盟友山中を戦争で失い、自らも戦地で苦労した小津は、このせいで後輩の黒澤に辛く当たり続けたと云われる。東宝が戦後、組合闘争で「一度倒産」すべきだったのもこの体質に因るものだ。黒澤の立場になれば、軍の要請で映画撮らされたのも気の毒だろう。こんな泥沼のなかで本作は撮られている。

本作は空手にボクシングと、異種格闘技が並置されるのだが、ここに柔道を頂点としたヒエラルキーが形成されているのは明らかだ。前回敗退した月形は藤田進を訪ねて、弟の月形と道場の板引っぺがす河野秋武(『』の野村萬斎と同じ髪型をしている)は狂っているから相手にしないでほしいと伝える。月形と河野は空手の使い手の設定である。沖縄発の空手(唐手)は本作の明治22年には武道として国に承認されていない(1933年承認)。クロサワ天皇は沖縄蔑視をそのまま映画に持ち込んでいるように見える。さらにその下位に「見世物」(柔道のような神事ではないと云う訳だ)であるボクシングを、さも不潔なもののように位置付ける訳だが、このときクロサワは、映画は見世物であるということに想到しているのだろうか不思議だ。それとも映画も神事にするつもりだったのか。ともあれ、冒頭にもボクシングにも、不平等条約の悲憤慷慨、アメリカ憎しが溢れている作品である。

ニッコリ微笑む藤田の柔道に、空手の河野は鉈捨てて「負けた」と泣く物語。実にバカバカしいのであり、これぞ八紘一宇、ラストで藤田に差す後光は大日本帝国の表象、戦わずして勝利、という便利さである。こんな虚構に比べれば、吊ズボンと七三分けでもって奇怪に揶揄されたアメリカンな菅井一郎の造形のほうがいっそ好ましく見える。録音もうまくいっておらず、高堂国典が怒鳴る声がデカすぎる件があった。本作で優れているのはこの月形・河野のニューロティックな造形が、後年のロシア文学ものを準備しているのを確認できることぐらいだった。

(評価:★1)

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