[コメント] わが青春に悔なし(1946/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画をどう捉えていいのか、大変悩んであれこれ調べたら色々すごいことがわかってきた。
まず原節子。1920年生れ。17歳で「新しき土」という日独合作映画に出ている。これはヒットラーも見ていたという「国策映画」である。ポスターの紹介文「満一ケ年の日子と七十万円の巨額を投じた日本で最初の世界的大名画」。原節子はシベリア鉄道に乗ってドイツまで行っている。ドイツで歓迎を受けた後アメリカに渡って帰国。貧乏で女学校を2年生で中退。原節子の出演映画で初めに紹介される本作「わが青春に悔いなし」の時は26歳、54作目となる。広末涼子は歌手デビューが17歳の国民的アイドルだが、比べて、どうだ。戦前の日本と日本の映画界ってなんだ?原節子の異次元の存在感はこのキャアリアから来ているのか。
次に脚本。黒澤の共同執筆ではない。久板栄二郎という脚本家は1898年生まれ。プロレタリア演劇運動に参加、戯曲も書く。その1935年の作品「断層」に岸田国士が次のような批評を書いている。 「マルクス主義の作品と聞いただけで、実は今まで、おほかた敬遠してゐたといふことは、嘗て君にも告白した通りであります。が、それは決して、一人の作家がある思想、ある主義を奉じてゐるから、その作品が面白くないといふことにはなりません。彼が文学的行動を取るに際して、自己批判の名にかくれて、全人格の赤裸々な表現を憚る卑怯さ、政治的なる口実の下に、修正され、装飾され、従つて、他所行きになつた自分自身の厚かましい押売り、さういふものが、作品を通じて、われわれのモラルではなく寧ろ神経を、趣味といふよりは寧ろ感覚そのものを絶えず焦ら立たせるからです。」 これは主人持ちの文学を批判した言葉であるが、この「我青春に悔いなし」の主人はGHQと敗戦直後の日本と言える。
そして黒澤。この作品は戦後の第2作でその前が「虎の尾を踏む男達」この後が「素晴らしき日曜日」である。弁慶の勧進帳と貧しい恋人たちというほとんど正反対の内容だが、絵はどちらもしっかり黒澤している。この「わが青春に悔いなし」で黒澤らしいのは杉村春子と原節子の農作業の熱量で、あの画力には目が離せない。映画的な試みの画面はいくつか見られるが、とりあえず技術を使ってみました、という感じで心こもっていない。いったい、黒澤はこのテーマに納得していたのか。敗戦前の国策映画「いちばん美しく」の献身というテーマは納得して撮っていたと思う。主演女優と結婚までしている。それに反して、この瀧川事件をベースに、戦前、戦後を通して個人の自由の解放と女性の自立と生きがいを表現した(とでもまとめるしかない)本作に納得していたのか。そのチグハグさに、その時の時代思潮はなんでも取り込む原節子という怪物をヒロインに据えたこの映画はなんなのか、まったく困惑してしまう。
余談だが、原節子の相手の地下活動家藤田進(このひと黒澤デビュー作の姿三四郎じゃないか)のモデルとなった実際の人物、尾崎秀実というのがすごい。「日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者、ソビエト連邦のスパイ。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。」この人は実の兄の妻を奪って妻にし、活動中に知り合ったアグネス・スメドレーとも情交を重ねていた、とある。1944年に死刑になっている。この人物を黒澤と成瀬の共同監督で作ってくれたら面白かったに違いない。
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