[コメント] 白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々(2005/独)
自分の事として考えること。4.5点。
ユリア=イェンチはこの映画が各国で上映された時、<ナチスの映画>としてだけでなく自分の事に置きかえて観てくれている事が嬉しい、というような事を語っていたようだ。ぼくがこの映画を観て考えた事には2つの方向性がある。
ひとつ目は彼女たちの行動(訴える事・貫く事)は、内容に関わらず美しい行為といえるのか。例えば自由主義社会で共産主義思想を訴え抜く事、民主主義社会でファシズム思想を貫く行為も、暴力に抗し、自らに誠実であったなら、美しき行為と言えるかどうか。それを検証しない限り、彼女たちが「最後まで屈しなかった」という言葉でいたずらに賞賛する事は出来ない。
ふたつ目は彼女たちがあの時あの事を訴えた事をどう評価するか。ナチズムの恐怖政治下、東方戦線では友人や兄弟が過酷な戦場で戦っている時局に、戦争の無謀さと平和の大切さを説く事の是非。
白バラには帝国から鉄槌が下される。その暴虐と理不尽に観客は憤り、悲しみ、涙する。だが、涙の意味を理解し、ナチス政府が「何をしたのか」を把握し理解しないと、その場限りの意味のない涙になるだろう。嘗てそうだったように、ぼくら日本人もまた何時か白バラと同じ立場に立たされる時が来るかも知れない。その時、何が出来るか、何をするか。日本人も、この映画を自分に引きつけて受け取る事が出来るだろうか?
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