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[コメント] この天の虹(1958/日)

工場のセミドキュメンタリーと見ればさすが官営払い下げの規模に圧倒されるが、物語の舞台がほとんど社宅と公園というのがショボい。もっと潜入を。見処は川津小林トシ子のジェンダー逆転の試み。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







当時、企業PR映画は多いが、本作はタイトルに社名が出る訳ではないが(『黒部の太陽』などは企業名が延々羅列される)、ポスターには「東洋最大の八幡製鉄所を背景に働く人々の夢と希望を描く珠玉篇!!」と書かれてある。

東洋最大、世界一を目指す製鉄所。172万坪に3万7千人の従業員。「炉高炉」でコークス等の原料から銑鉄ができる。溶けたまま各工場へ運ばれる。運搬する機関車は136、線路延長は390キロ! 川津はこの機関士として働いている。銑鉄は「平炉工場」で精錬され「転炉工場」で酸素が吹き込まれて鋼鉄の塊になる。「分塊工場」を経て「鋼板工場」で鋼板、「軌条工場」で線路のレール、「線材工場」でワイヤーやロープ、「ストリップ工場」で薄い鋼板やコイルが作られる。「鍍金ブリキ工場」で錆止め、「コークス炉」は石炭を蒸し焼きにしている。戸畑にも拡張工事中でこれが完成すれば世界一、田村高廣が工事の監督をしている。実際はその後、工場は全国に分散された由。

社宅は「桃園アパート」に3割が入居。ここまででフィルムは1巻終わり。「従業員クラブ」はあるし、「穴生アパート」が建設中。住居不足が映画内で課題になるが、あらかじめ解決策が示されているのだった。こんな映画は珍しい。ただ、退職すれば社宅を出なければならないという苦労は解決されないのだろう。工場は三交代。「男子独身寮」は月3000円。「体育館」には見晴らしのよいレストラン付、芸能祭が開かれ、中盤の水上カーニバルも場所はここだったのだろうか、バカでかい客席が備えられている。序盤で施設自慢は終わりかと思いきや「購買部」という名のスーパーが14か所もあると途中にも挟まれる。高橋貞二が入院する病院も立派。

工場の空撮は圧倒的なものがあり、林立する煙突から吐かれる煙は実に画になっている。「この天に七色の虹が出る」と映画は煙突の煙を何かと象徴に使いたがるのだがどれもイマイチ舌足らず。煙は白とピンク色のものがあり、煤煙処理は大丈夫なのかと思わされる。ただ、作劇の舞台はもっぱらアパート、その他は公園や病院でなされ、具体的な工事内容を語らないのは不足感がある。この点、同じ八幡を題材にしたヤマサツの『熱風』は老朽炉との対決を語って(プロパガンダ映画だが)工場映画らしかった。『鉄西区』などほとんど工場の中で勝負していた。比べれば本作は社宅映画である。

田中絹代笠智衆の夫婦(すごい夫婦である)の処世は平凡を極めようとしている。愉しいことはあったのかと尋ねられて絹代は貯金がたまるのが愉しかったと答える。この町を出たことがないと放蕩息子の小坂一也に語り、小坂は東京行を断念して下請け工場で働き始め、エンディングで煉瓦積み作業をしている。田舎から都会へ脱出するかしないか、という主題は田舎に軍配を上げる。そこに職があるなら脱出する必要もない。

そう云えばこの工場映画は下請けの体制については解説がない。本作、キノシタは工場側と組合側の話を聞いて、組合の意見の採用をやめている(「天才監督 木下惠介」長部日出雄)。組合の説明もまた皆無。一方の経営陣には副社長がリアル登場して秘書の久我美子がお茶出しをするというすごいシーンまであるのに。

それだから経営側べったり、という作品ではない。重要なのは笠智衆より織田政雄だ。30年間騒音のなかで働いて無口になったと評される定年前の作業員。娘の久我が設計技師の田村高廣と作業員の高橋貞二の間で迷っていると知ると、いい条件の方を取れと云って、作業員の労苦を回想する。久我は最後に高橋と別れる。そこに鉄と国力を謳い上げる調子外れのナレーションが重なり、映画は分裂したまま終わるのだった。この収束は未整理の印象しか残さない。

本作の美点はキノシタらしいジェンダーへの拘り。極めて興味深いのが川津祐介(デヴュー作)の造形で、アニキの高橋貞二はいい人なんだ、何で振っちゃうんだと久我美子に絡み続ける。殆どセクハラだが、その愛嬌からか久我は拒絶仕切れない。川津は女性的なのだと思った。もしこれが立場が反対で、久我が可愛く川津に絡み続けるならばむしろ平凡なキャラでドラマは簡単に成立する。これをトランスジェンダー的な性格の男に置き換えたら許容されるのかどうかを映画は実験しているかのようだ。

一方、男性なら許されるが女性ならどうだろうという実験を、小林トシ子で並行して試みているのではないか。彼女は田村高廣に何度も堂々と告白して部屋では背中に手を回したりして、その度フラれてしまう。男ならあり得るが女なら違和感のある造形だ。場所は九州、小倉の近所、川津も小林も旧来の質実剛健な風土では本来成立しないが、この工業化民主化の背景では成立していくのだとキノシタは位置づけているように見えた。

(評価:★3)

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