[コメント] 下郎の首(1955/日)
タイトルバックは、鉄橋の仰角。列車から撮影したカットか。鉄橋を渡る列車のロングショット。川岸の地蔵。現代の風景だが、ナレーションで、江戸時代末期、100年ほど前に遡る。
次に東北の湯治場の場面になる。川で釣りをする片山明彦。田崎潤が来て、銛を準備。川に潜って魚を突くところを橋上からの俯瞰で捉える。このロケーションの高低の見せ方は素晴らしい。
片山と田崎の主従による仇討ち物語、と思わせておいて、その実、仇討ちは、正確な意味では(片山によっても、田崎によっても)行われず、終盤でとんでもない展開になる。確かにこの展開には吃驚するが、ちょっとやり過ぎていて、嫌らしいとも感じる。私は、話を広げる中盤が良いと思う。雨宿りの場面。田崎と瑳峨三智子の出会い。雲雀と籠。田崎の、正座をすると足が痺れて立てなくなる、という癖の反復もやり過ぎの感があるが、いざりの三井弘次の描き方。このあたりのユーモアは楽しめる。
瑳峨の家での田崎と小澤栄との立ち回りの演出も、もうほとんど喜劇なのだが、これが、実際、リアリティってやつかも知れない。そうだとしても、この部分は見苦しい。そして、ラスト、悲嘆に暮れる片山明彦に前後左右からドリーで寄る、このカメラワークはやり過ぎだと思う。
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