[コメント] サウンド・オブ・サンダー(2005/米=独)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず題名の意味が分からない。雷の音が効果的に使われていたようには思えないんですが…。
脚本に関して言えば、台詞とプロットの立て方はそれなりに工夫が感じられる。幾つかの台詞の繰り返しがまず一点。ハンティングの標的である恐竜が出てきた時に「かわいい」と女性スタッフが呟く事や、ハットン(ベン・キングスレー)が顧客に言う「皆さんはコロンブスやアームストロング船長と並んだのです」というお世辞、トラヴィス(エドワード・バーンズ)がお客と共にタイムマシンで出発する直前に「絶対にライトを見ないで下さい」と言い、驚いた客に「ジョークですよ」と言ったのを、後からハットンが、別の客にも言うように促す場面など。タイムスリップによる、同じ出来事の反復が行われる以前から、既視感のある場面や台詞を登場させる事で、作品の世界観を予め素描している訳だ。
CGがちゃちなのは、予算の都合やら何やらのトラブルが響いていたようだけど、このビデオゲーム的な嘘くささが、或る程度は物語の主題に貢献しているように思えなくもない。タイムマシンによって実際に恐竜と対面する事を、何かサファリパークで車の窓ガラス越しの「画」として動物を観察するのと同程度に考えているようなハットンらのいい加減さが、CGによって描かれた恐竜のいい加減さとどこかリンクして見えてしまう。「テレビゲームではない」という台詞に反して、全くのテレビゲーム的世界が現れるのだ。未来都市の書き割り的嘘くささも、過去の蝶々一匹の死という些細な出来事によって容易く崩壊してしまうという、「現在」の幻のような不安定さの表れのようにも思えなくはない。蝶が原因、という点は、‘バタフライ効果’を示唆しているのだろうか。
――と、何とか良い所を見つけようと思えば、多少強引にせよ見つかるのは、やはり制作者側の努力の賜物と言うべきだろう。繰り返し押し寄せる‘進化の波’の描写も意外と面白い。今にも次の波が来るかも知れない、という危機感と、波が来た後で世界はどう変わっているのか、という怖いもの見たさ、この両方の感情を上手く誘っており、全篇を一応は楽しめる程度に仕上げてはいる。波が襲って来た時に、主人公達や、その乗っている車などを宙に浮かべて回転させる事で、画的なケレン味を加え、世界の時間の針が一回転した感じが醸し出せている。
また、マントヒヒと恐竜を掛け合わせたようなクリーチャーも、猿という、進化の系統上、人類と親類関係にある動物と、その人類がタイムスリップして狩りの標的にしていた恐竜とが生物学的に融合するという事で、なかなか諷刺の利いたキャラクター性を持っている。終盤、遂に人類に進化の波が到来した場面で、タイムスリップしたトラヴィスを待つソニア(キャサリン・マコーマック)が、宇宙人のような爬虫類的な姿に変わってしまう所なども、人類の今現在あるような形態がいかに微妙な遺伝学的バランスの上に成り立っているのか、という、生物学的恐怖とも呼ぶべき感情を掻き立ててくる。
微妙なバランス、という意味では、この映画自体、CGとか特撮というもののリアリティが、いかに微妙なバランスと予算配分の上に成り立っているのか、という事を痛感させる。この低予算さを露骨に顕わにした映画を全面的にヨシとするほど寛大な心は僕には無く、題材がかなり面白いだけに、勿体なかったな、と感じざるを得ないのだけど、映画好きなら一度はネタとして鑑賞しておくのも悪くない気はする。
ただ、シンプルな娯楽作としての一貫性が欠けると言うべきか、B級らしい行き当たりばったりないい加減さの表れと言うべきか、本編で散々、進化のバランスが云々生態系が云々と言っていたくせに、ラスト・ショットは何故か、本編では進化の波の影響を受けて夥しい植物に覆われていたビル群が、最後には元のスッキリとした姿を、勝ち誇るように見せる画になっている。妙に引っ掛かる終わり方。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。