[コメント] Vフォー・ヴェンデッタ(2005/米=独)
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マトリックスっぽいなぁと思っていたら脚本がウォシャウスキ兄弟だよ。自分たちのクリエイティビティの原点がこの作品に恐らくはあるんだろうから満を持しての映画化かもしれないけど、お話が破たんしているから、テーマは理解できても、キャラクターやアクションが理解できない。雑な映画だよなぁ。
そもそも、近未来仮想社会が背景の割に携帯とか部屋のインテリアとか街並みとかが現実の現代社会と変わらない。携帯がみんなガラケーだったりして、スマホ全盛の昨今からみればデザイン的にも「時代遅れの近未来」感が否めない。独裁国家(おそらくは共産化もしている)なんだから、技術・産業の進化・進歩が遅れていると考えることもできるけど、「ウソで真実を語る」と息巻いているんなら、観客がこの虚構の世界にどっぷりつかれるようなプロダクションデザインにしてくれよ。ヨーロッパや旧ソ連圏の風景をモチーフに400年前のイギリスをレトロフューチャーに進化させるとかさ…。
あと、ナタリーポートマンが仮面の男にシンパシーを抱くようになる過程が飲みこみづらいよ。彼の殺戮に反発して、嘘までついて彼のもとから逃げ出したのに、拷問されてまで彼をかばうのはなぜよ?
あとあと、ナタリーポートマンのうけてる拷問てなんなわけ?あの、『ショーシャンクの空に』でアンディ・デュフレーンがやられてた「裸にシャワー」みたいなやつ?やせていくのは母親にならってハンストしてるから自傷行為と考えると、他に目立った暴行の跡はないし…。敢えて言うなら坊主にされたことか。
この映画の失敗は、一幕でかたられるべき「設定」の語り口が不十分であり、あの社会において人々が政府にどのような感情を抱いているのか、抑圧された社会とはどのようなものか、といった大枠が語られないまま話が進んでしまうところ。Vもナタリーもいったい何を考え、何に抗おうとしているのかまったく判らない。
設定の回収を中盤あたりでバタバタとこなすわけだが、それもVの独白とフラッシュバックいう工夫もへったくれもない手法で、まあ、心底ウンザリしたね。
それにすべてのシーンが直截的すぎる。呼びだされた後すぐその待ち合わせ場所についている、とか、「ただではすまないわよ」といったすぐあとただではすまない事態がおきるとか、“タメ”とか“じらし”がストーリーテリングに一切ない。ドラマとしてもサスペンスとしてもまったく盛り上がらないよこれじゃ。
もちろん、いいところもあった。
革命を起こすのは名もなき大衆ひとりひとりだ、というメッセージをこめたクライマックスはいい。一人ひとりが仮面をとっていく、その波が全体に波及していく様子は前出のドミノ倒しを思わせる演出。かっこいい。
また、Vと政府の犬たちとの戦闘シーン。動きにディレイして太刀筋がでるあたり、 アニメ的な表現でかっこいい。
まあ、たぶん、このかっこいいシーンがやりたかっただけでしょ?この映画は。
こんな映画みている暇あれば、自分の人生に革命を起こすべく日々現実的な努力をしようと思ったね。
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