[コメント] 少林寺秘棍房(1983/香港)
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フー・シェンがいる段階でどれくらい撮影したのかは知らないけれども、お話自体にはそれほど影響を感じさせないように作られている。ラストバトルにいないくらいか。まあそれ大きいっちゃおおきいけど。たぶんフー・シェン演じる六郎さんは、妹の危機を伝え聞くか何かで精神的に復活し、ラストバトル登場するはずだったのだろう。ラウ・カーリョンものにしては人がいっぱい出てきて豪華な歴史物として始まる割に90分弱とコンパクトなのはその辺がカットされているからだろう。そういやこのオープニングなんで何にもないセットの中でやってるんだろ。ショウブラならオープンセットくらい使えるだろ。壮絶な合戦のはずなのになーんかスケールが小さいというかもったいないなあ。ほかのシーンがしっかり背景のあるから余計に気になる。
フー・シェン死亡の影響が出ていたのはむしろ役者さんや現場の人だったんじゃないかと思う。リュー・チャーフィ曰く、撮影再開後はじめのシーンである勝手に剃髪のシーンではフー・シェンを思うと自然と涙が出たそうだが、このシーンはともかくとして、そういう過剰な思い入れが高すぎるテンションとして本来静かなはずのシーンを殺気だったものにしているような気がしなくもない。
五郎さんがどうして自分弟子入りできないんですか!というのに師匠答えて曰くお前は技術は良いがいろいろなものを背負いすぎていると(うろおぼえ)。その後、狼の模型をぶち壊すのではなく牙を抜く、殺すのではなく生かすことで勝利を得る、といういつもの精神を学んだはずなのに、ラストバトルで大勢の敵をあっさり殺しちゃうんだもんな。それ以外でも牙を抜くのを比喩としてではなく、本当に抜いちゃう。師匠たちも「殺れ!(殺! Kill!)」と助っ人なります。おかしい。なにかがおかしい。
おかげで戦いが終わったあと俗世を捨て仏さんになる五郎さんに違和感感じまくりです。これだけ血を流したのなら、血まみれの道を歩み、悟り半ばにして壮絶に散って欲しいと思ってしまいます。そうすると違う監督の映画になってしまいますが。
はじめと最後の戦いを、主人公の心の変化も含めてくっきりはっきり対照させるならば、後者は狭い空間で、人死に少なく展開するべきだったと思う。本来のラウ・カーリョン映画は殺すのではなく生かすことで勝利を得るものだったはず。なんだけど、このラストバトルは血みどろ残酷カンフーになっちゃってます。フー・シェンの死。やりきれないものがあったんだろう。なんかたががはずれちゃったのかもしれない。人ひとり死ぬのはすごく重みのあることなのだと、何かおかしいこの映画を観て改めて感じました。
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