[コメント] Death Note デスノート 前編(2006/日)
「死神」という超常現象を前提にしなければ成り立ち得ない凶行でも、
神にもなりうると納得しえる超越的力を持つ者も、現実に影響を
及ぼし得るモノは、すべて、誰かによって追い詰められえるのだ…と、
そのような、ある意味神の前の個人の如き境地へと、読者を、視聴者を、
導いたのではなかろうか。
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それは、インターネットのようなものが、あたかも安全圏から、
ノーリスクで社会に影響を行使しえると錯覚した者の多くを、
その行為を、いくらかでも躊躇させたであろう。
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単純に考えても、報道を見ても、インターネットでのそれは、
全くの匿名ではあり得ず、デスノートのような超常現象でもない。
警察のような国家権力が介入すれば、その全履歴は簡単に丸裸にされる。
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この物語の展開は、そのような権力の介入が無くとも、ここが安全圏では
ないことを、嫌でも連想させる。
神の存在を演じようとしたのは月であったと言えるが、全能者の如き視線を 視聴者個々人に植え付けたのは、Lの側の展開した思考であり、それに抗おうとした 月の側の対応だ。抗っているようでありながら、そこで展開される思考そのものが、 その全てが、不特定多数の視線を、微細な差異を、ゼロではない可能性を、常に、 際限無く展開することを要求する。それは、どこまで行っても決して超えられない 神の前の人間の姿そのものでもある。もちろん、これはLが神であると言っている のではない。
そのような可能性を思考の片隅に常に担保し続けること、 いつまでも完全を求め続けることそのものが、 常に誰かが見ている…とでもいうような神の視線の如きものを、 不可避に招き寄せるのだ。
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デスノートが体現していたものは…、ITバブルの如き幻想そのものであり、
この物語が担った役割は、そのようなバブルを破る棘であったのだろう。
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って、ほとんど映画そのものへのレビューではないですね。
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