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[コメント] 愛と追憶の日々(1983/米)

彼女の都合と親娘愛を理解できなかったのは僕が男だったからなのか
おーくらくん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







僕には理解できなかったことが二つあった。

一つ、エマの都合

エマは自分が不倫しているのにも関わらず、フラップの浮気を許せない。自分は自身の言うところの罪を犯しているのにも関わらず、相手の罪を許すことができないばかりか、すべてを相手の罪と糾弾し子どもを連れて帰ってしまうという行動にでる。なぜ自分ばかり許されるのか。

一つ、この映画での親娘愛

これは愛というよりは、ただのおしゃべりな女の子ふたりではないか。二人で互いに敬意を払い、成長し合うというところよりはほど遠く、時には罵倒し自分の近況や気持ちを相手に伝え理解してもらおうとしているだけ。この二人では昇華は無く、同じと頃をぐるぐる回っているだけである。このような馴れ合いが愛なのか。

もしこれがアメリカでの考え方や愛の形を描いているのならば、これがアメリカなのだろうか。

つまり、自分は許されるが相手は許されない。そしてその罪に対する罰は自らの正義によって行う。その裏では自分は罪を平然と罪を犯し続ける。

愛とは自分の思っていることを相手に伝えること。相手に理解させること。二人で課題に対して向かい合うのではなく、自分の思うことを伝えれば目的は達せられるのか。

ちなみに、この作品のジャック・ニコルソンはどうも、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の役柄を思い出させてしまうな

(評価:★2)

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