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[コメント] ふるさとの歌(1925/日)

人類史上最高の映画監督(の一人)、溝口健二の現存する最初期の作品。本編前に「文部省製作/日本活動写真株式会社撮影」と出る。
ゑぎ

 確かに、本編終盤には、国家繁栄のために地方の農業振興がいかに重要かを教化する、お説教クサい構成を持つ作品なのだ。これも国策映画と云っていいのだろう。しかし、溝口の演出はこの時点で既に実に肌理細かく充実しており、今現在見てもとても興味深く見ることのできる作品だ。

 もっとも、当然ながら(?)敗戦後の溝口の、世界映画史上でも類稀と云っていい超傑作群に特徴的である俯瞰の長回しといった演出はまだ見られない。だが、インパクトのある俯瞰の取り入れや、画面手前から奥までをディープフォーカスでとらまえようとする志向の萌芽は見て取れるだろう。例えば、河原を歩く主人公−直太郎を橋上から撮ったと思しき俯瞰。彼が帰宅した際の、画面手前に父母を置き、画面奥に直太郎を配置する縦構図。

 また、この時点で同一空間の場面を複数のカットで割る演出、特に、対面に近い配置の複数人物を切り返して繋ぐ演出が繰り返され、これによる肌理の細かい描写は本作の特徴だ。これは後年の溝口の演出基調とかなり異なるものと云っていいだろう。さらに、例えば人物をポン寄りのようにロングショットから寄ったショットに繋ぐといったカッティングや、自動車と馬車との並走−自動車が馬車を追い抜くショットを、180度転換して見せるといった処理まである。

 あるいは、回想・フラッシュバックを多用した語り口も書いておくべきだろう。例えば、貧乏で小学校しか出ていない主人公−直太郎が、卒業式で総代として答辞を読んだことを思い出す、といった典型的なフラッシュバックがあったり、直太郎が村の青年たちの前で農業こそ大事な事業だと語った場面が、終盤になって別アングルのショットで挿入される。このような人物の回想の画面化だけでなく空想のような、願望のような短いイメージショットも活用される。こちらの例としては、直太郎が、大学生になった自分を想像するショットだとか

 尚、ウィキペディアの記載内容が正しければ、サイレント期の溝口作品は全部で58本あり、この内、現存しているものは、僅かに5本のみだ。日本は焦土になった経緯があるとは云え、米国の例えばグリフィスやキートン作品の保存具合と比較すると愕然とさせられる。ひたすら悔しく思う。

(評価:★3)

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