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[コメント] ゲド戦記(2006/日)

これは… 何だ?
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







以下、読む必要はありません。思考としてまとめられません。推敲する気にもなりません。

LOTR』が映画化され『ハリポタ=シリーズ』と鎬を削ってのち、とうとう「ゲド戦記」が映画化された。嘗てない興奮で映画館へ向かう。「原作と映画は別物…」「原作の読者は大抵ガッカリするもの…」「アニメだし…」と自分に言い聞かせながら…。

   ・ ・ ・

「映画勝負主義」を採り、また普段余り本を読まない自分としては、初めて「原作がグチャグチャに踏みにじられた悔しさ」を心の底から痛感した作品となった。しかし感情を抑え、ギリギリ★1点にはしないでおこう。

これはスタジオジブリの作品だ。俺の嫌いな「日本に見えない『となりのトトロ』」と同じ臭いがする。「ジブリのキャラクター」たちが何かあがいている。弱っちい主人公が居て、悪い奴が居て、偉そうな奴が居て、限られた命とか永遠の命とか言って、何か色々連想される作品はあるけど、間違っても「ゲド戦記」じゃないなぁ …と思っている内に映画は終わっちゃっていた。…

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というか、あのジブリ調の題字も許し難い。何だあのナメきった題字(by鈴木敏夫)は! おまけに最後は「終。」ときたもんだ。俺は初めて銀幕に何かを投げつけたい衝動に駆られた。

   ◆  ◆  ◆  ◆

(余談) 原作について;

しかし「ゲド戦記」は或る意味日本人にとって二重に残念な作品である。題名の「ゲド戦記」が身も蓋もないネタバレになっている、という決定的汚点を背負っているからだ。翻訳した清水真砂子さんと岩波書店が「ついやっちゃった」のだろうが、映画を観ただけでは解らなかったかも知れないが、原作では「ゲド」は簡単には口にしてはならない真(まこと)の名前である。せめて「ハイタカ戦記」とすべきだった。しかも訳者の見込みとは裏腹に、その後の「Eathsea」(余談だが俺はEathseaを「陸海(おかうみ)」と訳している)の物語は戦いの物語にはならず、ハイタカは主人公ですらなくなってしまった。しかし何故「戦記」などという題名にしてしまったのだろう? カエサル(シーザー)の「ガリア戦記 Commentarii de Bello Gallico」から思いついたのか? 確かに、ぼくも子供の頃「ゲド戦記」という言葉を聞いて、勇猛果敢な夢物語を想像したの覚えている。訳者がそういうイメージを読者に持って貰おうとした事は解るが、大失敗であった。

「ゲド戦記」は映画化しづらい作品である。精神の奥底での葛藤・懊悩を描いているからだ。或る意味哲学書の域にまで達している。しかし優れた児童文学は皆そうした面を持っているし、仏典などの宗教哲学も物語を通して語られる事が多いのだから、或る意味似ているのかも知れない。俺自身は手塚治虫による「影との戦い」の漫画化を(勝手に)想像していた時期がある。「ゲド戦記」を映画化かマンガ化するなら、と考えた時、何故か頭に「ブラックジャック」のようなハイタカが浮かんだのだ。「火の鳥」や「きりひと讃歌」を描いた作家なら、新しい「ゲド戦記」を表現できるのでは…と期待していた。だから俺は「ゲド戦記」アニメ映画化の試み自体を否定する訳ではない。スタジオジブリがやると聞いた時「不安はあるが宮崎 駿なら或いは…」と期待していた(期待せざるを得ない訳だが)。素人の息子に任せたと聞いた時も、何とかなるんじゃないか…と思っていた。俺は訊きたい。宮崎吾朗は「ゲド戦記」を読んでいるのか、と。「ゲド戦記」とはどんな物語なのか解っているのか、と。宮崎吾朗がこんなにしたお蔭で、スタジオジブリのお蔭で、正しい『ゲド戦記』の誕生はますます遠のいたと言わざるを得ない。これは非常に残念な事だ。

   ◆  ◆  ◆  ◆

(追記) 久し振りに自分の review を読んだ。この間にスタジオジブリ内の事情(宮崎 駿が結果として原作者に嘘をついた事など)を知った。映画は映画で評価すべきである。この映画への酷評の嵐に対して「作品が全てだろ」という批判(反論)も沢山読んだ。原則論では俺もその意見なのだが、どうも引っ掛かる所がある。全く予備知識なしに映画を観て評価するのが理想と言えば理想だが、一般論としても、予告篇での期待や俳優のそれまでの仕事振りなどもある程度加味しての評価も矢張りあり得る(或いは否定し切れないのが現実)のではないか?という点が一つ。でも少なくともこの作品は「この作品自体にして駄目」なのだ。そして、作品への制作スタッフの愛情・熱意が感じられるか、という点。作品がどうにも駄目でも、溢れんばかりの愛情が伝わって来る場合、或いは熱意の無さがバレバレな場合、それを含めて「作品の評価」とはならないだろう乎? 宮崎監督(子)のこの作品への愛情の程度(こだわり具合)を知って、その上ではすました顔など出来ない。だから、矢張り俺はこの review を書き直す気にはならない。

今回は書き直す代りに評価を更に★1点に下げる事にした。('08年7月)

(評価:★1)

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