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[コメント] ジョルジュ・バタイユ ママン(2004/仏=ポルトガル=オーストリア=スペイン)

“セクシュアリティ”と“罪”の煩悶的かつ神秘的な提示に到達するGOODな作品
junojuna

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 抑圧された“性”の欲望と真摯に向き合うことは人生を生きるということまたは真理を探求することのきわめて高度な反芻である。この映画ではそうした“性”とそれの表裏一体となる“罪”とに対峙する人間の懊悩が主題となり、“禁忌”に触れることによって我執の世界が瓦解する物語を煩悶的かつ神秘的に描いて重厚である。バタイユの原作を思惟的に実践した価値ある秀作といえよう。映画はスキャンダラスな“セクシュアリティ”の描写に宗教的な図式が見てとれる。ピエールにとってママンは完璧なる美神として崇拝されており、息子ピエールの“性”の衝動は同時に“生”の通過儀礼である。まずはじめにピエールが父の書斎でマスターベーションに耽ることで神なる母への裏切りという“罪”の意識が提示される。ママンはピエールに対し、自らの本性を露にすることで母としての役割を果たそうとする。母の手綱によって与えられる“性”の関門はピエールにとって受難劇さながらの様相となるが、その“性”の試練を経ることで自らの“性”の本質を意識するようになる。この時点でピエールにとって母への憧憬と自らの“性”が葛藤する状況がスリリングに提示され、同時に偶像崇拝と内なる信仰心の対立図式が表出される。そして最後にママンとピエールが結合することで両者においては“禁忌”の意味を見つめる瞬間が訪れる。その結果、ママンは死を選び、ピエールは母の遺体の前でマスターベーションに耽る。ここで描かれているのは二人の“贖罪”という行為であり、ピエールにおいては神との統合による信仰への目覚めが現れている。それは近親相姦という“禁忌”を犯したことにまつわる贖いと洗礼であるが、ピエールにとってママンは崇拝の対象ではなくなり、衝動的にマスターベーションをすることによって“性”の恍惚を自己へと向けようとし、“生”の衝動を発露するところで物語は開示的な結末をもって幕を閉じる。と、映画を読んでみるところに思い当たる節をめぐらすことは鑑賞の醍醐味のひとつであり、それが可能な限り映画というものは開かれた芸術である。クリストフ・オノレの演出は多少粗さが目立つ向きもあるが、それを補う力強さと繊細な映画の相貌があって魅力的だ。また、ルイ・ガレルによる画面に確かな肌理を見せる信憑性のある存在感は有望である。やはりガレル一族の血筋には濃密な映画魂が宿っていて感慨深い。

(評価:★4)

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