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[コメント] 折鶴お千(1935/日)

これはすごい!溝口の最後のサイレント作品か。1933年『瀧の白糸』の後、1936年の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』までの数年間を溝口のスランプ時期とみなす言もあるようだが、いやいや本作も素晴らしい作品じゃないか。
ゑぎ

 こゝでも溝口は徹底的に奥行きを志向する。そして、切り返さない。もうストイックに切り返さない。しかし、全編に一度だけある切り返しの場面の強烈なこと。

 冒頭は雨の万世橋。そのほど近い停車場(現在の秋葉原駅)で列車を待つ人々。教授と呼ばれた男−夏川大二郎が「明神の森」を見る。神田明神の鎮守の森のことだろう。森は模型のよう。夏川から横に移動して、待合室にいる青ざめた顔の女性−山田五十鈴。彼女も森を見る。こゝからフラッシュバックし、若い2人が明神の森で出会い、古美術商を装った悪党の熊沢−芝田新の手先として働かされるパートが前半だ。前半は熊沢の家の屋内、玄関、前の通りを使い、奥行きを表現した画面がこれでもかと現れる。例えば手前に人物を置いて、奥の部屋にいる山田を映すショット。奥の部屋に山田が寝ていて、カメラが後退移動すると熊沢の顔がフレームインするといったショットもある。あるいは、部屋の奥から玄関側を撮った画面には、玄関の人物と、さらに通りの奥の近所の人まで映っている。前半の最後、剃刀を持った山田が夏川と一緒に後ずさりし、家を出ていくショットも奥行きを強調したものだ。

 会話シーンの人物の配置に関しても、多くは矢張り、手前と奥に配置し、時に前を向く人物と後ろを向く人物をフレーム内に捉えたりもする、もうサイレント臭さがほとんどないものと云えるだろう。そんな中で、私は、明確な切り返しが、全編出てこないのかと、ずっと心にかけながら見ていた。例えば後半、御徒町に場面が移ってからすぐの、道(橋)での山田と夏川のツーショットなんて、さすがにこゝでは切り返すだろうと思わせるシーンなのだが、矢張り頑なに切り返さないのだ。絶対に溝口のイケズだと思った。この調子でずっと焦らされる。これが、フラッシュバックの最終盤まで焦らされて、やっと出るのだ。夏川を見る山田のショットは切り返しだ。しかも、この場面でタイトルの折鶴を画面で実装する。もう鳥肌が立つぐらい、なんて美しい山田五十鈴。なんて鮮やかな見せ方。

 さてもう少し、別の画面上の特徴も書いておこう。本作ではまだまだシーケンスショットと云えるほどの長回しは無いが(科白の挿入字幕が多く、カットが割られたように見えるシーンもあるけれど)、移動とパンはとても多い。特にパンがこれほど使われていることには驚いた。山田からパンして他の人物(例えば、和尚の浮木−芳沢一郎)を映すとか、あるいはその逆とか。また、夏川が相馬煎餅を買いに行かされた町のシーンで、多分、クレーン撮影の移動とパンを組み合わせたと思しきダイナミックなショットが出て来るのだが、これなんかは、後年の溝口らしい長回し時のカメラワークに近いものだ。あと、画面の中に光る小道具を取り入れた演出の反復も書き留めておきたい。夏川が故郷を捨て東京へ出る場面における線路にあたった太陽の光。ローキーの部屋でのランプの光。そして剃刀に光が反射する場面の反復。

#山田は当時18歳。夏川は22歳。役柄は実年齢とほゞ逆転している。

#山田と夏川のシーンの後景に、中盤はニコライ堂、終盤は凌雲閣が見える。

(評価:★5)

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