[コメント] 夜よ、こんにちは(2003/伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
極左の常套句、階級闘争の用語が連発され、「労働者階級が支配するプロレタリアの裁判所では死刑」。するとブルジョア政党の党首はどうしたって死刑。終盤、「殺すのは納得できない」と云うマヤ・サンサにルイジ・ロ・カーショは「今日は不可解でも将来は博愛になる」「それでは人々の理解は得られないわ」「人々? プチブルさ」。
赤い旅団の面々は、革命は必然的に起こると信じている。佐藤忠男が書いていたが、大島渚たちと付き合い始めた頃、大島等は革命は本当に起こり得ると信じていたとのこと。もちろん実際に起こった国もあった。
イタリア共産党員だったベロッキオ。本作で60年代の社会主義への道を反省するのだろうか(ゴダールは反省などしなかったものだが)。この赤い旅団事件の頃は、イタリア共産党は極左ではない(1973年にマルクス・レーニン主義や暴力革命を党綱領から削除している)し、本作でも語られる通り、党首のネロは共産党も含めた連立を構想していた。2002年にベロッキオはインタヴューで「もう政治は管理されているし急進主義は興味ねえ」と答えている。本作のスタンスに近かろう。しかし2006年には急進左派政党の候補者になっているらしく(Wiki)どうせ一筋縄ではいかない。
文脈の違うピンク・フロイドの流用は如何わしいが、「カチューシャ」は勉強になった。日本では軟弱な歌だが、元祖ソ連では国境警備の兵士に捧げる歌として流行り、イタリアでは本作で歌われる通り対ファシストのパルチザン蜂起を呼びかける歌になっている。♪赤旗をはためかせて 自由を勝ち取ったのだ。葬式の集まりで親戚の年寄りたちが合唱するのを聴いてサンサは感銘を受け、次いで党首の手紙で「ファシストに処刑される」と自分たちがファシストと呼ばれているのを見て衝撃を受けている。
彼女はさらに、カソリックであるブレッソン映画の原作「死刑囚の手紙」を想起し、聖水で気絶する。しかし、この彼女の改心の物語は、美しさはあるにしても淡泊。実話だから序中盤は面白くても収束は当たり前になるのは仕方ないのだろう。実話から脱線できない不自由を感じた。
図書館の同僚パオロ・ブリグリアが同時並行で当事件のシナリオを書き、サンサが党首を救う物語に直す、という件は面白い(冒頭の引用もそこから。映画タイトルはそのシナリオのもの)。ラストでもこれが「想像」されている。しかし、なぜ彼は逮捕されたのか。感化されてエレヴェーターに赤い旅団のマークを描いたのは、もしかして彼だったのだろうか。この活動を支持する国民は、どれだけいたのだろうか。これはベロッキオだって知りたいことだったのだろう。
党首がまだ生きているかをコックリさんで占う息抜きの冗談は面白い。全員が丸テーブルに両手を乗せ、預言は全員の口から一斉に単語で吐かれている。『雨の午後の降霊祭』のイギリス式の描写ともまた違ったやり方だった。映画は誘拐現場も処刑も撮らず、ミニマムな軟禁をストイックに記録する。部屋の光のなかに部分的に影が落ち続け、ピンボケストレスのない撮影は上等なものなのだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3_(%E6%9B%B2)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。