[コメント] サンキュー・スモーキング(2006/米)
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煙草の害が語られる昨今、そんな風潮から真っ向から対立するような、煙草擁護の話が展開していく。わたし自身が喫煙者でもあるし、ほう、こんな映画があったんだ。とちょっと興味を惹かれて観てみたのだが、ある意味これは大きく騙された。
本作の場合、実は煙草がいう作品じゃなくて、ディベートの面白さについて描いた作品だった。アメリカのジョークの一つとして、「営業とは、必要なものを買わせるのは二流。必要と思わせることが出来て一流」などと言われることがあるが、ここでのエッカート演じるニックがやってることはまさにそれ。煙草に害があろうが無かろうが、そんなことは彼にとっては意味がない。要するに、より多くの人に煙草を吸わせればそれで良いのだから。ここまで割り切ってこそ、本当の広告人と言えるのだろう。
仮にここでのニックが煙草禁止の立場に立っていても、同じ論調で、煙草を吸いたくさせなくしてくれるはず。だけど、敢えて困難なディベートに挑み、それを成功させることの魅力に取り憑かれてしまった男なのだ。難しければ難しいほど燃える。そんな男の魅力に溢れた作品とも言えるだろう。
そのために本作は喫煙者にとっては、結構耳が痛いところも多々あり。喫煙者は誰だって煙草に害があることは知っている。それを今更言われると腹が立つのだが、それを承知の上で煙草の良さを延々と語られると、逆に聞いている方が耳が痛くなって…面と向かって否定されるよりも、逆に真綿で首を絞められてるような気分にさせられてしまう。
ただ、本作の場合、本質はもうちょっと違ったところにあると思う。何故ここで敢えてハリウッドに乗り込んでいったか。それは古い映画の喫煙シーンを改ざんしてしまおう。という現在の流れに「No!」を叫ぶためにあったとも思える。煙草を吸っているシーンがあるのならば、それはそれで良いじゃないか。禁煙協会が言うように、そんなことで煙草の害を言うのは間違ってる。これに関しては大いに賛成。表現を規制することが禁止につながるなんてのは与太話。過去にあったことはあったものとして受け取る心の余裕こそ本当は必要なのだから。
とにかく煙草云々よりも、もっと口が巧くなりたい。という思いにさせてくれたことが本作の最も大きな収穫だった。
ところで本作の監督ジェイソン・ライトマンはアイヴァン・ライトマン監督の息子。それで息子がこういう作品を作ってる、その時に父親が何を作っていたかというと、『Gガール 破壊的な彼女』だったりするあたりがなんというか…いろんな意味で皮肉に満ちた作品である事は確か。
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