[コメント] リリス(1964/米)
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トラウマを抱えた女は、その濃厚な口づけで少年にトラウマを刻み込む。と、トラウマの連鎖とでも言いたいような話展開。リリスを見ながら無意識に母親のトラウマを重ねる主人公と、そのリリスにしても結局のところ愛(性愛)を注ぐ周囲の人間は、全て弟の代償物だったのではないだろうかとも思える。そんなことを考えると、トラウマというキーワードの下に表向き話は展開しているが、しかし話はそんな単純なものではなかった。
幾何学的なまでに整った画面でありながら、いつ崩れるか分からない不吉な危うさを常に孕んでいる。その秩序が整っていれば整っているほど、崩れ去ったら収拾がつかなくなる。ということを、彼女がラストで身をもって体現している。
思うのは、精神を病んだ人に対して、ただ単に「狂っている」という言葉で片付けるのはあまりに乱暴な話で、彼らそれぞれに世界があり、むしろ(常人には理解できなくとも)常人よりも確固たる哲学を持ち合わせている、ということ。常に迷い続け、結局何も成し遂げることがなかった主人公が、彼らに対して覚える複雑な思いは、(それが何であれ)確固たる何かを持ち合わせている彼らを見て何を思うか、ということなのだろう。
ということは、ラストで「遂に彼も狂ってしまいました」という単純なことではなく、事態はより深刻なのだと思う。狂気と正気の狭間、行き着く先を完全に見失ってしまった姿に思えてならない。全編通して不穏で危うい空気が漂う中で、この映画の底流にあるのは救いがたい「孤独」ではないか、と思う。「何故ここにいるのかを見つけるために働いている」というセリフが、ラストで再び耳によみがえる。
話がとりとめもなく進んでいる印象もあるけど、プリズムのように屈折した感情が交差し、時に刃物のように鋭い光を投げかける。オープニングの蝶と蜘蛛の巣のスライド。果たして誰が蝶で誰が蜘蛛の巣なのだろうか、あまりの屈折振りにそれすらわからない。
(2007/6/14)
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