[コメント] 失われた地平線(1937/米)
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分断の時代の今こそ観るべき監督「アメリカの良心」フランク・キャプラ。
ちょっと「お花畑的理想主義ファンタジー」が過度な印象もありますが、自分の年齢とか心情とかで受け止め方が変わると思います。万人にとっての理想的な映画は存在しない。いずれにせよ、製作当時の背景を考慮しなければいけない気もします。
映画が作られたのは1937年。日本は昭和12年。ジェームズ・ヒルトンの原作小説が発表されたのは、その4年前の1933年。第一次世界大戦終了(1918年)から第二次世界大戦開始(1939年)の間のこと。ちょうど、大恐慌とナチスが台頭していった時代。そんな時代を背景として、「アメリカの良心」キャプラはこの映画で「理想郷」を描こうとします。
ちなみにこの理想郷の土地の名前が「シャングリラ」。この映画(というか原作小説)が「理想郷=シャングリラ」の語源だそうですね。チャットモンチーとか、電気グルーヴとか。幸せだって叫んでくれよ
さて、この理想郷が「お花畑的理想主義ファンタジー」に感じられちゃうんですよ。観客にとっても、この映画の一部の登場人物にとっても。これ、今の映画だったら、「そうは言っても、猥雑な人間がいるから世界は面白いんだぜ」「蜂の巣みたいだ東京」って展開になると思うんです。
でもこれ、本当に「お花畑」なんだろうか?
原題は「Lost Horizon」。地平線なのか境界線なのか限界なのか、いずれにせよそうしたものの「Lost」であって、このタイトルに(お花畑的)理想郷の意味はなく、むしろネガティブな印象さえ受けます。人は何を失ったのだろうか…
また、劇中も「中庸」という言葉が出てきます。孔子ですな。あるいはアリストテレス。 つまり、極右が台頭した時代に極左を理想とした、というわけでもない。実際、シャングリラに戻れたかどうか不明ですしね。「(そんな場所に)辿り着けたらいいよね。乾杯!」って話なんですよ。
いや、もしかしたら、最初から理想郷なんて「妄想」でしかなかった……という解釈は……さすがに穿った見方でしょうか。夢でKISS KISS KISS……
(2024.07.21 渋谷シネマヴェーラにて鑑賞)
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