[コメント] トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン(1980/米)
タイトル(原作題)のキッチュでポップな印象からは程遠い、ブラッティらしいキリスト教的苦悩に満ちた秀作です。「カーン」じゃなく「ケーン(ケイン)」なので、プロレスファンはご注意あれ。生半可な気持ちで観たらケガします。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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善悪という二元論で語られてはいるが、彼らの絶望や苦悩には、胸を抉られるような深い痛みを覚える。人間というものは、なんでどこまでも人間でしかいられないのだろう。しかし、その重い鎖を断ち切ることができないが故に、人は人であり続ける。
「ショック療法」と称したケインの自殺行為は、カットショウの社会復帰という具体的な目的以上に、自らが重い鎖を断ち切ることで殉教者となる行為なのだろう。「月へ降り立つ」という孤独な行いを辞さないだけの力が、人間の中にも残されているのだ、ということを信じさせたかったのだろう。月にそびえるはりつけの十字架のシーンを思い起こせば、「月に降り立つ」という行為が何を意味しているのかは明らかだ。
まるで『まぼろしの市街戦』を想起させるような、収容所の光景。前半のちぐはくな文学や哲学問答の応酬に混乱しつつも、時折正気と見紛うようなセリフを吐く患者たち。「狂気のふりをすることで、かろうじて奈落に落ちることから身を守っているのだ」。その痛切な言葉の響き。
ともあれ「エクソシスト」においてでさえ、安直に神の勝利を描かず、人が悪におののく姿を執拗に描き続けたブラッティらしい作品。ラストの奇跡は、そんな重い苦悩を抱えた人々の生きるよすが、切実な願いに他ならない。無碍にどうこう言う気にはなれません。
(2007/1/1)
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