[コメント] Presents 合い鍵(2006/日)
圧倒的に広末涼子の映画だったわけである。最初から最後まで全部が広末涼子の頭の中と視点による物語。基本的にヒロスエの笑顔アップからヒロスエの寝顔からヒロスエのメシ喰う姿にヒロスエがウキウキするのと呆けて泣きまくるシーンまでヒロスエオンリーの映画と言っても過言ではない。
と、普通の映画だったらコレは間違いなくオレの為の映画になる。だが、コレは普通の映画ではなかった。画面に映る絵はほとんどがオレの為の映画といって間違いないが、映画そのものが向いている方向は余りにあさっての方向だ。オレに背中を向けているといっても良い。まあ、オレにとってヒロスエの背中は最も好きな部位でもあるが…ってソレは関係ないとして、この映画はオレをはじめとする男ども全員に背をむけて女性にしか語りかけない。おかしい、確かこの映画企画のテーマは「夜9時からの新しいデートムービー」のはずで、基本的にカップルに魅せてその鑑賞後もゆっくり時間が取れるから夜はこれから二人で盛り上がってネ!を応援する為の映画であったはずだ。この徹底して玉山くんの心を描かない所を、男ゴコロを描けなかったと見るか、女視点なので当然のように男ゴコロを描かなかったと見るか、はたまた「以心伝心」だと思ってた彼の心が全く読めなかったというのは「彼を失う喪失感とのリンク」という演出だったと見るか。どっちにしろ、女の子だけがいろいろ考えるような演出ではないのだろうか。はたしてこの映画で若い(に限らず)二人は夜を盛り上れるのか?ちなみにウチの夫婦はこの鑑賞後に渋谷・麗郷で美味しい台湾料理をたらふく食ったが映画のネタでは盛り上らなかったぞ。ソレはつきあって17年の老カップルだったからか?ま、そうかもしれんが。
しかし、ここまでオトコの気持ちを語らない…というか見えないままの映画は初めての体験かもしれない。いかに男視点の映画が多いかという事なんだろうが、これはオレにとって初めて「女流監督ならでは」というものを実感したという事なのだろうか。今まで何故か女流監督作品でアタリが無かったと思っていたが何の事はない。それらは初めからオレには理解できない所で勝負してた故だったという事じゃないか。ヒロスエが居るか居ないかだけでこうも真剣に考える事になるとは、いかに広末涼子が偉大かってもんだ。と、思わないとやってられんわ。
とまあ、この「女ゴコロ」の根本的な所が判らないので、これ以上なにをいわんやって状況なのだが、どうでもいい所もちょっと言っておこうと思う。まず、この揺れるカメラ、安定しないパン、この撮影ははっきり言って好きじゃない。アイディア溢れるカットも多かったので惜しいと思った。あとはヒロスエも28歳という実年齢よりも上の設定でしかも深夜2時まで平気で仕事しているキャリアバリバリウーマンな点から考えると、もっともっと「仕事に疲れた感じ」が欲しい所だ。後輩の子の無駄話にうっかり乗ってしまう余裕が夜2時まで仕事している女にあるんだろうか。ソレより早く家に帰って風呂入って寝たいっすよ…という本音がありながらソレを隠して話に付き合ってるような演出があっても良かったかも。少なくとも、オレの横で見てた人はそうだと言ってるぞ。ま、映画の中のヒロスエよりも一回り上の疲れたOLの本音と比較するのも間違いかもしれないが。
最後に、あのプレゼントも「え、これでいいのか」と思ったのだが、女性からみて納得できるオチだったのだろうか。そう納得できるものなのだろうか。うちのカミさんに「あれでOKなのか?」と聞いたら「え?ダメなの?」と逆に聞かれた。女は判らん。ヒロスエに女ゴコロをじっくり教えて貰いたい。
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