[コメント] その夜は忘れない(1962/日)
例えば、広島駅は当たり前としても、平和記念公園のすぐ側の新広島ホテル、広島市民球場、比治山にあった原爆傷害調査委員会(ABCC)の独特の建屋、東洋工業(現マツダ)の工場や食堂など。あとこれらを含めた広島市街(平和記念公園、平和記念資料館、原爆ドーム、太田川や町、繁華街)と、他にも安芸津の町並みと港も出て来る。
敗戦から17年後の夏。江波杏子は16歳の役なのか。「うち生まれとらん」と云いながら、バーでジンフィズを飲む。提灯屋の女性−田中三津子は、顔の右側にケロイドが残っているが「考えてもしょうがないでしょ」と笑いながら云う。このような戦争の傷跡がない、もしくは払拭した(かのように見える)人々が描かれた後に、満を持して、「バーあき」で若尾文子が登場する。過去の話になると、何か暗い表情をする若尾。後半は、若尾が圧倒的に戦争の原爆の、古傷ではない現在も継続している傷みを体現する。このストーリー性に本作の良さを見いだす人は多いだろう。私とて心震わせられる。
しかし、例えば上に書いた顔のケロイドを気にしていない女性に驚く田宮のレスポンスはかなりクサいと思う。あるいは、田宮と若尾が高台で(比治山の頂上だろう)広島の町を見ながら(カメラがパンして見せながら)会話するシーンなんかが顕著だが、若尾が過去を隠す顔の変化をする演技演出に関しても、私はクサいと思ってしまう。それこそ川島とか増村だったら絶対にやらないディレクションだし、俳優にやらせない顔作りじゃないか。他にも、違和感のある表情の演出がチラホラとあるのだ。
また、プロット構成として、指が6本ある赤ちゃんとその母親をめぐる部分が中途半端な点も気になる。この母親を捜して安芸津まで来た田宮が、偶然にも若尾と再会し、普段着の彼女に接し恋に落ちるといった展開に機能するだけなのだ(捜していた母親が若尾だと思ってしまうじゃないか)。それに、この安芸津の場面で、若尾が友達−謡のお師匠さん(?)−角梨枝子の家に田宮を上げて、服を脱がして横に寝かせてオシボリでサービスする、というシーンを挿入するのにも違和感を覚える(さすがに恥ずかしそうな顔をする田宮の演技は自然だが)。
ただし、広島市内に戻った田宮がこの安芸津での情景をフラッシュバックする部分はいい。再利用されるショットもあるが(若尾が天地逆さまで笑顔を見せるショットなど)、先に見せられていなかったショットが挿入されるのがいい(若尾が寿司を皿に取ってくれるショットとか)。さらに、この後の、太田川の岸辺で若尾が田宮に「広島の石」を手渡すという場面に繋がっていく。岸辺に至る、夜の広島の町を2人で歩くシーンが、良いウエストショットの横移動で撮られているのにも感心した。ラストシーンもこの太田川の岸辺で、これは流石に大仰なディレクションと思うが、落着きのいいラストにはなっている。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・アバンタイトルの列車内。田宮に話しかける博多の女性は穂高のり子。列車内の洗面室には大山健二がいる。彼は広島の屋形船やホテルでも登場。
・クレジットの音楽は、懐メロ「無情の夢」の変奏。短調のフレーズが入る。
・田宮の友人のテレビ演出家で川崎敬三。江波杏子は放送劇団の新人タレント。
・広島原爆病院の医者に中村伸郎。「バーあき」のシーンでもいる。
・「バーあき」の女給で三木裕子。バーテンは仲村隆。終盤のママは若松和子。バーに来て若尾に金をせびる若者で長谷川哲夫。その友人で田宮に絡む三夏伸。
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