[コメント] のんき大将(1949/メキシコ)
主人公のラミロ−フェルナンド・ソレルが看守に呼ばれる。皆と別れの挨拶。この時点では分からないが、ラミロは酔っぱらって留置場に入れられる常習者のようだ。続いてラミロの邸宅。彼は会社社長。こゝで、執事、メイド、兄夫婦、娘と息子が登場する。皆(娘以外は)、ラミロに金をねだる。執事とメイドは請求書の支払い(だが、手数料?をもらう)、兄は服代、義姉は服代に医療費、息子は新しい自動車。娘だけは、お金では無く婚約者の件。今夜のパーティへは必ず参加してね、というお願い。この場面で、家族は(使用人含めて)ラミロに寄生して遊んでいる、ということが分かる。また会社でも、社員は皆、仕事をせずに遊んでいる。専務だろうか、重役が忠告するが、しかし、ラミロは友人に呼ばれて出て行く。最愛の妻を亡くした寂しさを紛らわすために飲まずにはいられないと云う。
ラミロがぐでんぐでんに酔っぱらって帰宅すると、娘と婚約者のパーティが行われている。この婚約者も働かない人種で、ラミロの金が目当てのようだ。なぜか婚約者のお母さんに髭がある(剃ってない)のが面白い。普段は優しいラミロだが、酔った勢いと、娘の幸せを考えたのだろう、婚約者とそのお母さんのことをぼろくそに云い、大暴れしたラミロは、倒れてしまい重篤な状態になる。実はこの場面のショットが大人しく、もっと動的なカットを繋いでもいいと思ったが、娘が自分や婚約者のことよりも、父親を心配するのは良い作劇だ。全編通じて、娘が父親思いの優しい性格であることは一貫している。また、演じるロザリオ・グラナドスという女優がとても美しい。
ラミロの容態はかなり悪く、なんとかして生活(酒癖)を改めさせる必要がある、となり、医者をしているラミロの弟(この人はかなりマトモな人)の計略で皆で芝居を打つという展開になる。それが、ラミロが目を覚ますと、破産して一年経過しており、邸宅を追い出され、下町のぼろアパートに暮らしている、と思わせる(騙す)、というものだ。というワケで、本作のメインのプロットはこゝから始まる、吉本新喜劇みたいな作戦なのだが(ちなみに私は吉本新喜劇ファンですよ)、この作戦、我々観客にも伏せたかたちで作劇することもできたと思うが、ルイス・ブニュエルって、ツイストのあるプロットを、ある程度、観客に開示しながら展開する作劇を好むように思う。本作においては、この作戦もすぐに反故にされ、代わりにラミロが考えた作戦で、家族たちを騙す、というヒネリが加えられる(このヒネリも観客に開示される)。
さて、お話の焦点は、ラミロおよび彼に頼り切っている浪費家たち(家族)の更生にあたっていくが、それと共に、ラミロの娘がアパートの隣人パブロ−ルーベン・ロホと仲良くなり恋に落ちる過程が描かれるのだ。パブロは電気の知識もあり、宣伝カーを使って移動広告のような仕事をしている(車載の拡声器で広告の口上を流しながら町をまわる)のだが、パブロからの愛の告白や2人の会話やキスの音が、街中に放送される、という愉快な場面の反復がいい。ラストは予定調和で驚きの無いものだと思うけれど、主要人物(5人)が、腕を組んで道路の真ん中を歩いてく後ろ姿がラストカット、というエンディングはいい。
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