[コメント] パリ、ジュテーム(2006/仏=独=リヒテンシュタイン=スイス)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
個人的に気になったものは、
「フォブール・サン・ドニ」
サン・ドニ門界隈は長期滞在経験があるので、個人的な思い入れもある。『パリところどころ』でも取り上げられた地域であるが、前作がサン・ドニ門の南に広がる娼婦街を舞台にしたのに対して、今作は北に広がる移民街が舞台になっている。私が滞在したのは南側であり、前作では見覚えのある街角が映し出され、テーマも娼婦を扱っていることから、いかにもサン・ドニであったが、今作では場所柄との関連性が少なく、北側のシンボルでもある移民たちの商店街も露出せず、そういった意味では親しみを感じさせるものではなかった。しかし、作品自体のレベルは高く、別れの電話から思い出が蘇り、そして最後にその電話は演技の練習だったというプロットの仕掛け、低速度撮影の中、静止する二人を映し出す(個人的にはソダーバーグ『スキゾポリス』を彷彿させる)映像の手法など、スパイスがきいていて面白かった。
「ヴィクトワール広場」
諏訪敦彦監督ということで、注目しつつも期待していなかったのだが、ファンタジックな要素を盛り込みつつ語るその手法は、彼の実力を再評価させるものだった。(宗教的側面は個人的に不要だったけど。)
「14区」
さすがアレクサンダー・ペイン!といっても『ハイスクール白書』しか見ていないけど、ダメ人間を描かせると彼の右に出る者はいないといった感じ。今作の主人公であるおばさんは、アメリカ人に限らず、日本人にもいがちな、いかにも花の都パリにあこがれ、男には無縁で、孤独な、しかし、そのことから眼を背けて自己正当化しようとする。ぐだぐだな発音のフランス語にもかかわらず、「冒険心のある」自分は個人旅行を選び、隣に恋人がいなくても友人や愛犬たちに囲まれて幸せであると言い聞かせ、フランス語で話しかけるのに英語で返され、「パリに愛され始めている」と勘違いする。パリという表面的には華やかに見えながら、その実、ごみごみして狭く汚く、様々な問題を抱える都市を、「花の都」という幻想のフィルターを通してしか見れない多くの勘違い人間の典型を描き出している。その手腕は彼にのみ備わるものだろう。(ちなみに「ペール・ラシェーズ墓地」でのオスカー・ワイルド役も秀逸。)
「モンソー公園」
ニック・ノルティの好々爺ぶり、長回し、そしてベタながらも見事に準備されたオチ。完成度の高い一品。
「お祭り広場」
瀕死の重傷を負いながらもナンパする軽さと、それを覆す積年の憧れ。そして、パリの暗部である移民問題。様々な要素が集約された佳作。
その他の作品も、意味不明なクリストファー・ドイルの「ショワジー門」、吸血鬼が出てくるヴィンチェンゾ・ナタリの「マドレーヌ界隈」、足の動きがバカボンのお巡りさん的なシルヴァン・ショメの「エッフェル塔」、ヨーロッパで何故か人気の村上春樹の本が出てくるイサベル・コイシェの「バスティーユ」、ベテラン陣が圧倒的な存在感で幸福(そうな)離婚を描くフレデリック・オービュルタン&ジェラール・ドパルデューの「カルチェラタン」などなど、それぞれ個性的な作品群で構成されている。
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