[コメント] ツォツィ(2005/英=南アフリカ)
アフリカの全土を覆う飢餓のネットワークは、ひとりの不良少年の更生を前にしても一切揺らぐことはない。まして相手がネイティヴ・アフリカンの富裕層だからこその終幕場面であることに注目すべし。一般市民なら死ぬまでこの事件は解決しないだろう。
愛情に飢えた不良少年が、一人の無垢なる嬰児を抱え込み、愛情の何たるかを知る。成る程、確かにいい話だ。
だが、それが何だというのだ。
「一人一人の社会のゴミ予備軍が、愛情に目を向けていけばいつか社会は温かいものになるだろう」それまで何百年待てばいいのだ。一人が紆余曲折を経て弱者への愛を知る間に、罪無き多くの子供達は冷たい骸となってゆく。それを救うために映画は有効か?自分はそこまで楽観的にはなれない。子供達に与えられるべきは夢に満ち溢れた非現実だろう。子供はそこから慰めの夢を手にし、過酷な現実を一夜忘れて眠ることが出来るだろう。
自分は、啓蒙のための映画なんてこれっぽっちも信用しちゃいないのだ。
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