[コメント] 尼僧物語(1959/米)
改めて思うが、当時のヘップバーンの魅力は“清楚さ”ではなく“天真爛漫さ”の方にあったと思います。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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本作のヘップバーンの器用は多分清楚さを強調するためだったのだろうとは思う。しかし、それが上手く行ったかと言うと、かなり疑問。少なくとも本作と次回作の『ティファニーで朝食を』を較べるなら、断然『ティファニーで朝食を』の方が遙かに彼女には似合ってる。
それにジンネマン監督というのも問題で、監督らしさではあるが、この作品の場合、途中の演出が重すぎて物語そのものがもっさりしたストーリー展開に思えてしまうし、いわば出家した人が還俗することの葛藤について、本人の苦しみみたいなものも今ひとつ伝わってこない。小説を捻らずにそのまま映画にした感じで、観ていて爽快感が少ない。 最後に最終的に下した決断が正しいのかどうかもはっきりしてないのも、ちょっともやもやした気分にさせてしまう。
とはいえ、歴史を背景とした人物像はたいしたもの。尼僧となることでかつての自分を捨て去った気持ちになったとしても、自分の出自は必ずついて回るし、それを捨てきれない自分もいる。アンビバレンツの中で決断を下していく。それが人生を賭けた重さとなって現れていた。
ちなみにラストシーンで音楽が使われていないのはWB映画では珍しいのだが、これはジンネマン監督が「もし明るい音楽だったらWBは尼僧が還俗することを祝っているように思われるし、暗い音楽だと観客の気が滅入ってしまう」と主張したためだという。それが重さにつながっているのかな?
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