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[コメント] クローズド・ノート(2007/日)

全篇を充たす、透明な、柔らかい光。竹内結子の芯の強さと、沢尻エリカの繊細さ。二人の濃密な関係性を紡ぐ巧みな編集による相乗効果。だが「教師」というキーワードで結びつく二人の関係に於いて重要な子供たちの演出が、多分に記号的。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







これもまた「窓」の映画。香恵(沢尻エリカ)≒伊吹(竹内結子)の「窓」を見つめる石飛(伊勢谷友介)。不登校の少女・君代(山口愛)の「窓」を見つめる伊吹。ノートに書かれてあるのを真似て「UFOが飛んでる」とメールし、石飛の「窓」を見つめる香恵。伊吹が校舎の「窓」から飛ばす、ノートの最後のページを折った紙飛行機。そしてラスト・シーン、香恵が見つめる校舎の「窓」から子供たちが一斉に飛ばす紙飛行機。香恵の部屋の、ノートが入れられていたクローゼット(まさに「クローズド」・ノート)の鏡も「窓」のひとつに数えられるかもしれない。

窓はどれも高い場所にあるが、香恵≒伊吹の窓の前には階段があり、窓と、それを見つめる人物との距離感が繊細に調節される。石飛の個展の会場に飾られていた、窓辺の息吹を描いたデッサンは、正面から描かれているが、実際は石飛は息吹を「正面から描くことさえできなかった」のであり、その絵は窓辺の香恵をモデルにしたもの。真正面から見つめ、見つめられるという、香恵と石飛の関係は、香恵の言葉を借りれば「出会い」ではなく、むしろ「すれ違い」としての結末を迎えるのだ。

だから、そのデッサンの前で香恵が石飛に呟く「この絵の人、私に割と似てると思いますよ」という言葉は、演じる沢尻の声と表情も相俟って、香恵を見ながらも息吹を思い描いていた石飛への当てつけの意味と同時に、彼がいまだに恋し続けている息吹は、自分(=香恵)に似てもいるでしょう?という、仮初めの恋を本物の恋であったことにしたい気持ちをも伝えてくる。この後、香恵が、石飛との約束どおりにマンドリンを演奏するのではなく、代わりに息吹の残したノートを読みあげ、石飛を号泣させるシーンは、香恵から石飛への、屈折したかたちでの女の復讐とも感じられた。

香恵は、下手だったマンドリンを、その日に備えて練習していたらしく、例の窓の前の階段に座って独り演奏するシーンでは、弾き間違えることなく演奏する。このシーンでは、まず個展会場に独り残った石飛があのデッサンを見つめるカットが入り、カメラがデッサンに寄っていくと、マンドリンを弾く香恵のカットに移る。次には香恵の部屋の、誰も居ない窓のカットに移る。香恵は、息吹に向けて演奏しているのだ。ノートを通して自分に様々なことを教えてくれた「先輩」小学校教師に向けて。このカットの窓は、再び個展会場のデッサンへと繋がる。こうして「石飛→息吹→香恵→息吹→石飛」という、この映画の主題そのものとも言える円環構造が描かれる。

香恵が、ノートを通して息吹と同一化することをやめ、「先輩」である息吹とじかに対面しようとする行動や、「私じゃ、ダメですか?」という問いに「ごめん」としか答えてくれなかった石飛の個展で、息吹の最後の言葉を代弁する香恵。それらは、香恵が香恵自身として生きていく為の通過儀礼だ。だから、ラストで彼女が石飛と一緒に空を見上げるという、安易なハッピーエンド風の演出には、香恵の厳しさに対して、石飛の安直さが介入することの違和感がある。監督は、自分が撮っている映画を充分に理解していないのではないか、という疑念が湧いてくる。

ノートに書かれた「隆」がリュウであることには、映画開始早々に気がつかざるを得ず、 それがあまりに自明なせいで、実際に種明かしがされるシーンまで、「隆」の音読みが「リュウ」であることに気がつかなかったほどだ。この、観客にとっては折り込み済みの真相が、恰も全くの隠されたものであるかのように、そ知らぬ風に進行する様には、やはり無理がある。知らんぷりをするよりも、むしろ積極的に、演出なりプロットなりにこの構造を際立たせ、活かすアプローチを採った方が賢明ではなかったか。

香恵がノートから思い描く「隆」としては、香恵が特別視する俳優・夏目涼(黄川田将也)が使われる。香恵は部屋に夏目のポスターを貼ってはいるが、彼が出演しているドラマを観ているシーンでは、途中でノートに読み耽り、遂にはテレビを切ってしまう。このシーン中、ドラマ内で鳴り響く靴音に、香恵が現実の靴音に対してのように反応する、といったかたちで、現実とイメージとが交錯する。その一方で、夏目よりもノートに注意が傾いていく香恵。こうして、夏目は「特別な男性」を示す為の純然たる記号として、息吹の前に登場することが可能となるのだ。この記号化は、巧いとは思うのだが、反面、息吹の恋愛自体もまた、どこか記号的なものとして映じてしまう。せめて夏目が、黒服に黒帽子といった戯画的な装いでなければ良かったのだが。

石飛の仕事仲間の女性から彼の本名が告げられ、事の真相が明らかになるシーンまでは、香恵は自ら進んで、息吹と自分とを重ねている。例えば、香恵がノートのページを繰るカットに続けて、伊吹がノートを繰り、ページに書き込むカットが繋げられる、といったかたちで、恰も香恵がノートに書き込んでいるように見せるなど、香恵=息吹という分身性が強調されていた。だが石飛もまた香恵を息吹の分身と見做していたことが判明すると、今度は香恵の部屋に、愛し合う者同士としての石飛と伊吹が現れる。二人が、窓ガラスに映った香恵の姿を無視して、外の雨を見つめるシーンでの、香恵の孤立。それまではイメージの中で一緒に部屋で暮らしていたような伊吹が、一転して自分を排除する存在となってしまうのだ。

この、愛する人を奪われるという出来事は、香恵の友人・ハナ(サエコ)の恋人・鹿島(田中哲司)が香恵に横恋慕してしまうというかたちで、香恵の立場を異にして反復されるわけだが、その図式の明らかさに反して、あまり必然性が感じられない。ハナは舌足らずの甘えた話し方をする未熟な印象の女性でしかなく、鹿島も、数々のキモイ行為を繰り返す勘違い男でしかない(万年筆店での、「香恵」は「買え」で商売向けだという寒いジョークや、手を触る行為。告白シーンでの、妙に気どった言い回し。演奏会での大げさな花束)。多分に戯画的なのであり、沢尻が情感を込めて繊細に演じる香恵の恋愛とは、殆ど何の関係も無い出来事としか感じられない。

また、僕は別に伊勢谷の演技は嫌いではないのだが、殊この作品に関しては、ああいうベチャッとした話し方をする役者ではなく、もっと繊細な感情表現をする役者に任せるべきだった。むしろ鹿島を彼が演じるくらいがちょうど良かったのではないか。

もうひとつ、相当にこの作品の質を損ねているのは、子供たちの描き方だ。伊吹が赴任した初日から、一斉に元気よく挨拶する生徒たち。それぞれに個性的なのだが、単に「キャラ」を与えられている印象で、教室の雰囲気は最初からあまりに予定調和的な安定感を保ち続ける。「心の強さ」を示す、拳で自分の胸をトントンと叩く仕種が、何気なく伊吹がそれをしていたのを見ていた生徒たちから始まって、いつの間にかクラス中に広められる。子供たちは、登校拒否になる君代でさえ、その心理にカメラが迫ることはなく、一斉に返事をし、一斉に歌を歌い、一斉に紙飛行機を飛ばす、といったかたちで、一塊の「集団」という性格ばかりが際立ちすぎている。

胸をトントンの仕種も、小さなファシズムとさえ映じてしまう。これでは登校拒否になる生徒が出るのも、分からなくはない。息吹の「頑張ろうね」の言葉が重荷になったという君代は、お別れ会では息吹から「頑張ったね」という言葉をかけられる。伊吹が躊躇なくその言葉を君代にかけるには、「君代がクラスに戻ってきた」という事実だけではやや弱いと思う。君代の離脱によっていったんは揺らいだはずの息吹の理想を、きちんと掬い上げている演出とは言えないだろう。

そうした若干の薄気味悪さを抱えながらも、クラスの雰囲気そのものはやはり温かいものとして映じるのは、これはもう完全に竹内結子の人徳だろう。柔らかさと肯定性で生徒たちを包み込み、だがまた、自分の理想がそのまま通用するわけではないという事実に目を背けずに、きちんと傷つきつつ、その傷を自分の力で受けとめる、芯の強さ。そうした息吹の性格と、香恵の、活発で勝気な反面、繊細で脆い面もある性格とが、対照的でありながらも、純粋さという点では響き合う関係を成しており、絶妙なバランスで作品全体を支えている。

息吹はクラスの子らを「太陽の子」と呼ぶが、香恵もまた、亡き父から贈られたという万年筆のオレンジ色を見た、職場の先輩・可奈子(永作博美)から、「太陽の色だね」と告げられる。香恵もまた「太陽の子」として育つことを願われていたのだ。香恵と息吹の、一度も会わずまた会えないながらも築かれていく、濃密な関係性は、実に丁寧に描きこまれている。それ故に、息吹の生徒たちや「隆=夏目」の記号性、石飛の、ややぞんざいなキャラクター性など、周囲の人間たちの造形が繊細さを欠くものとなっているのが、実に惜しい。

それにしても、映画に出てくる絵は、ああいう印象派風の絵が妙に多いな。印象派風でなければ、シャガール風。視覚的な鮮やかさと、一応は具象的だから観客に違和感を抱かせ難い、ということなのだろうか。本作では、個展に並ぶ「作品」の極彩色と、息吹を描いたデッサンの素朴さとの対照性が狙われているのはすぐに分かる。幾たびも目にしてきたようなこの手の絵の中では比較的、よく描き込まれていたようにも思うが、やや乱雑に色を加えすぎにも見えた。

(評価:★3)

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