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[コメント] サッド ヴァケイション(2007/日)

中村嘉葎雄のビンタが全て。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







青山真治監督の作品は『レイクサイド・マーダーケース』に次ぎ2作目です。

話の筋はとてもわかりやすくて理解できなくはないのですが、いかにも「じれったい」感じが致します。

それは、この監督の何かこだわりなんでしょうか?

では、そのこだわりとは何か?

過去の作品を満遍なく見ていませんが、この人が映画界でデビューしたのが、どうも暴力的な作品がきっかけになっているがために、どうしてもそういう側面を出したがるところなんでしょうか。

実は本作は、母性回帰です。

石田えり演じる母親を全否定しながら、その手のひらで心地よい感触を味わう浅野忠信演じる主人公の葛藤が延々描かれていますね。これはもしかしたら青山真治監督のあるべき姿ではないんじゃないか、と思わせる映画でした。

母親への反発、そして自分を捨てた母親への復讐がこの映画の中心なのですが、この母親(石田えり)を後妻として引き受けた人の良い運送会社の社長(中村嘉葎雄)が、耐えに耐えて、自分の息子の葬式で安穏とする母親にビンタを一発食らわします。この一発こそ、この映画で言いたかったことのような気がします。

(この時の石田えりさんの演技も凄いです。ビンタを食らってもまだニヤニヤ笑っている。)

この女性観というか、女性が最後に開き直った瞬間の強さというか、全方位的な寛容さというものは、男の立場では出来ない行動です。自分には血を分けた子供がいる。そういう自信と強さをこの女性は訴えかけます。それがたとえ社会的に非常識なことであっても、本人の強い意思に勝るものは何もない。そしてそういう意思(意識)が女性を自ら女性として生かしているということですね。凄い哲学です。

中国人マフィアが奇しくも日本の家族の現状を簡潔に示しています。

「日本の母親はだめだ。でも、父親はもっとだめだ。(笑)」

このセリフの持つ意味は重たいですね。父親像も母親像も、すでに日本には失われている。男女雇用機会均等法や核家族化の進行、そして少子化の影響などをもって、すでに日本の”母親”というシステムは崩壊してしまったんです。崩壊したのがつい最近のことと思っていたら大間違いで、すでに戦後混乱期を経て高度成長期(1960年代)からこの兆候は現れていました。

私が生まれたのもこの時代です。

自分の母、自分の妻に、母親としての造型はありません。むしろずっと昔に亡くなった祖母にギリギリ母親像を見出すことができる。これが今の日本です。

そして、この映画でだらしなく描かれている母親像に、寛容な立場の父親が一発ビンタを食らわしたことで、母親としての女性を全否定してしまった。母親がこんな奴だからみんなダメになるんだ、と言いたかったようです。

しかし冷静になってみると、これは母親としての女性が悪いのではなくて、この映画の周辺に流れるもの、それは経済であったり政治であったりするものだと思いますが、この映画ではその余韻は全くなく、あくまでも悪女としての母親像を示して終わります。

そういう意味においても、とても内面にヒットする作品ではなく、作品全体に築かれる映画的な側面も訴えかけるもののない、ただただ辛い映画でしたね。

2009/12/31(自宅)

(評価:★2)

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