[コメント] 自虐の詩(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ホクロも最終的には、幸も不幸も越えて繋がっていく命の象徴になっていたし。
イサオしか見えない状態の幸江が、実は周りの人々から愛されているのが、序盤からひしひしと伝わってくる。それは、イサオが幸江を惨めな境遇に追いつめるせいで、それを見守る人々の同情を誘うからなのだけど、反面、幸江がそんな境遇にも関わらず、明るく健気にイサオに尽くすのは、彼女が生きる希望を全く失っていた時、その存在を「全て」肯定し受け入れたのが、他ならぬイサオだったからだ。
あれほど幸江に尽くしていたイサオがただの横暴な亭主に変わってしまった過程は具体的には描かれていないが、ヤクザの組長が彼に言う「お前は極道の世界でしか生きられない」「お前の才能を活かせるのはヤクザの世界」という台詞、更には、珍しく仕事に出たイサオが(ノ∀`) アチャー な結果で終わる場面で、何となく想像は出来るようになっていると思う。イサオは、己が己として全的に生きられる場所から、小指一つ置いて去っていったのだ、「きれいな体」で幸江を迎えにいく為に。
仕事が上手くいかず、ガラの悪い子分とつるんでギャンブル三昧、恐喝で金を得るというヤクザ崩れの生活を送り、家では寝っ転がって何もする気になれないという姿は、幸江という一人の女の為に、自分の人生を全て棒に振った事の帰結なのだ。ヤクザの世界に帰れという誘いも断ったイサオの方こそ実は、究極的には、愛する者の為に尽くしているという事だ。外見からは、事態は全く正反対に見えるのだけど。
言葉で表現するのがどうしようもなく苦手であるらしいイサオは、事あるごとにちゃぶ台をひっくり返すが、幸江に直接暴力を振るう場面は無い。むしろ幸江の為に他人に暴力を振るう場面がある。だから、最後に、畳ごとちゃぶ台をひっくり返すかに思えたイサオが、畳の下からお守りを出す場面は、ちゃぶ台返しと表裏一体の、不器用な男なりの表現なのだ。
ギャグや泣かせがベタ、ご都合主義に過ぎる事や、幸江が意識不明になった際の回想シーンが長すぎて全体のバランスを欠く事など、映画として合格点を出す気にはあまりなれないが、それでも、やはり、チャーミングであり、愛すべき作品だと感じさせられる。その最たる理由は、とことんダメなイサオを柔らかく包み込む幸江=中谷美紀の魅力にあるが、イサオの方も、無茶苦茶な事をしていても、その無表情にどこか愛嬌を感じさせる。二人の周りの人物達も含め、この映画の成功は、キャスティングの妙に多くを負っているように感じた。
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