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[コメント] キャンディ(2006/豪)

徹底した空虚さの凄みも感じさせない、芸術家気どりの若者の、凡庸な青春の一断面。だがそれを、甘くまたクールに描いたショットの数々は一級品。アングル、焦点の合わせ方、色彩設計、全てがハイセンス。殆ど老巧でさえある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ダンは詩人というよりは、働く代わりに「雑誌に詩を送っています」と言うことで働かない言い訳にしている男で、たまに恋人にベッドの上で詩を詠んでやる程度の詩人気どりでしかなく、責任や決断を回避しながら、のらりくらりと暮らしている。劇中の彼の台詞も、一応は詩的に装ってはいるが陳腐。キャンディにしても本気で画家を目指しているといった風ではなく、彼女の描いた、活き活きとしてはいるが稚拙な絵は、気晴らしにはなっても、売り物にはなりそうにない。芸術は彼らにとって、ドラッグのように現実逃避の手段であり、ダンはいつかはそれで収入を得られると思っている風ではあるものの、それは、恋人に売春させたり犯罪を働いて金を得るようなことと大して感覚が違わないように見える。

決して、若い芸術家同士の葛藤なり何なりを描いた作品ではない。芸術に逃げ道を見出しているような若者二人が、そんな人間にありがちな、社会のシステムに順応して平凡に生活するのを厭うて窮乏、荒廃していくさまを淡々と綴った、という印象。この二人は或る種の典型的な若者像であり、凡庸でさえある。そのことが、この作品のリアリティや普遍性を保証しているとも言えるのだが。

描かれている二人とは違って、この作品の映像センスは凡庸ではない。二人の心境を無言の内に映像で表す手腕は、どこか老練さすら感じさせる巧さがある。

キャンディの妊娠を契機に、港で薬断ちを決意する二人の向こうをゆく船は、新たな人生への旅立ちを感じさせる。ダンが船に向けてバイバイをするショットは、それまでの荒んだ生活への別離と共に、来るべき子供への挨拶を送っているようだ。

キャンディと母親が交わす会話は、料理の手際をめぐる何げないものでありながら、少ない言葉の中にも二人の緊張関係を推察させるに充分であり、その言葉の卑近さが実にリアル。

ダンとの共同生活が破綻したキャンディが、床に垂れる蜂蜜を空虚な目で見つめるショット。床に溜まっていき、緩やかに積み上げられていく蜂蜜が、甘美に思えてもその実、ただ虚しく時間だけが積み重なっていっただけのような二人の生活を思わせる。彼女が手で掬おうとしても、ただただ床に落ちていく蜂蜜。キャンディが居なくなり、彼女が壁に書き残した夥しい言葉と格闘するダンの姿は、キャンディの頭の中でもがいているかのようだ。

深夜に起きて時間を潰しているダンを神経質に批難するキャンディ、という一連のシーンは、二人の関係の不毛さを十全に描いている。灯りが気になると言われたダンが、テーブルに触れそうなくらいに下げたスタンドの明りでクロスワードパズルを解くその手元を捉えたショット。彼が、テレビ語と布を被って、画面の光が漏れないようにして、深夜映画を観ている姿。観ているのは確か、タルコフスキーの『鏡』だ。これらは映像的なアイデアがまず目を引くが、と同時に詩人気どりのダンが実は、言葉と格闘しているのはパズルという遊び程度、芸術に触れるのは、テレビ放送で映画を観るという受動的な行為だけ、という、彼の生活の在り様を印象づける上でも非常に的確な画作りが為されているのだ。

二人が一緒に暮らし始める田舎の家の、天井に空いた穴を塞いだビニールがカサカサと鳴る音。飛び回る一匹の羽虫。何も無い部屋。虚しい生活。むしろ、工場の隣で暮らしていた時の雑然とした光景の方が、一応は充足していたことが窺える。そう言えば、彼らが手にしている飲み物の、異様に鮮やかなグリーンも印象的だった。二人がこの田舎にやって来たときの、テラスに座る二人を背後から低い位置で捉えたショット。ダンの「愛してるよ」と言う声の鈍い響き。

特に印象に残っているのは、キャンディが売春に手を染めるシーン。質屋の前に止めた車中で待っていたダンに彼女は、祖母の指輪や画材を質に入れても充分な金を得られないことを告げ、「別の方法もあるらしいから」と言い残して再び質屋に戻る。ダンの視点から遠景で捉えられた質屋から主人が出てき、周囲を見回しながら「CLOSED」の看板を出す。店内で何が行われようとしているか、この時点で既に予想される。ここでダンの、微妙に変わっていく表情を捉えたカメラは、ゆっくりと右へ移動していき、ダンの姿は、車の白く曇った窓ガラス越しに見えるようになる。ショットが切り替わり、ガラス越しのダンのクローズアップ――ショットが変わり、車内にキャンディが帰ってき、ダンはそこで我に返る。曇ったガラスで、うわの空にあるダンと現実との隔たりを印象づけ、最後にパッと現実に引き戻す。これは見事。

ショット内の或る要素を用いた演出としては、テレビの使い方も注目したい所。薬物を断つことを決意したダンとキャンディが禁断症状に苦しむ場面では、ベッドの傍に置かれたテレビに映る番組の愉しげで軽快な雰囲気が、二人の惨状と対照的であり、そのことが、二人と世界との埋め難い距離を表現し得ている。後にキャンディが、精神のバランスを崩して病院に入ってしまい、ダンが見舞いに行く場面では、キャンディが椅子に座っているそのショットの奥に置かれたテレビが、その遠い距離と、キャンディの視線が全く別の方を向いていること、更にはそのテレビの至近距離で他の患者が見入っていることによって、キャンディと世界とが完全に断絶した状況が一目で感じとれる。

こうした、興味深いショット集として堪能すべきこの作品、裏を返せば、そこに描かれている人生の中には、殆ど何もない。だがそれだけに、一瞬一瞬は甘美に輝いていたその青春の空虚な煌めきが、脳裏に灼きついて離れない。

この監督については詳らかな所は不明だが、向こうの演劇界では既に名の通っている人物であるらしい。この映画の的確なショットが果たして彼の功績なのか、それともギャリー・フィリップスの撮影のお蔭なのかは分からないが、少なくとも台詞の気障っぽさだけは彼にも責任がある筈。主役二人の青臭さを表現したかったのかも知れないが、観客に気恥かしさを覚えさせない程度の距離感は欲しいところ。

(評価:★4)

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