[コメント] たとえ世界が終わっても(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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副題の「cycle soul apartment」に表れているように、輪廻転生が描かれているようだが、長田の子供の頃の思い出として語られる「四つ葉のクローバーを見つけてくれたら、永遠に愛してあげる」と言ったらしい女の子の名も「マナミ」といったという話は、前世なのか、現世の記憶なのか曖昧で、脚本も兼ねている監督の方で、あまり作品世界の設定を詰めていないような印象を受ける。
尤も、その辺りはファンタジー特有の曖昧さという事で済ませてもいいのだが、長田が少年と共に四つ葉のクローバーを見つけた場面は、観客にそれと気づかれないようにした方が、ラストシーンでのクローバーの写真が活きたように思う。そうなっていないせいで、ラストが何とも予定調和的で冗長に思えてしまう。この写真でクローバーを手にしているのが少年の手である事で、長田の、クローバーを見つけてあげる事の出来なかった子供時代の心残りが、写真という形で充たされるのであり、‘生のやり直し’=転生という主題と、映像というものが上手くリンクしているようにも思えるのだが。
映像、という点では、アパートの管理人である妙田が、アパート内の廊下なり部屋なりに設置された監視カメラをモニターしているという、現実的に考えたら変質的な場面。これも勿論ファンタジーの論理で観てあげるべきであり、彼は天上から人間たちを見守る神のメタファーなのだろう。映画の最後には、モニター室にも明るい光が差し込み、天国的な雰囲気を醸し出していた。
また、カメラに点滅する、小さな赤い光。これは、駅の待合室やプラットホームの場面で、画面の奥に光っていた赤いランプを連想させる。つまり、あの世、彼岸からの光。駅の場面ではどちらも、あの赤いドレスを着た女が居た。その、口紅やバッグに至る真っ赤な色と、白い肌。彼女が駅の階段からスローモーションで表れるショットと、彼女が、真っ赤なコカ・コーラのデザインを施された自販機の前を画面右側へと横切るショット。こうした、まさに映画的と呼びたくなる瞬間の訪れがある事で、脚本の弱さにも関らず、佳作になり得た作品、という印象が感じられる。
だが、この場面に続いて、女がプラットホームに飛び降りそうになり、長田がそれを救って、身代わりのように死ぬ、という展開は、それを表わす、プラットホームに置き去りにされた長田のカメラ、というショットの凡庸さも併せて、何とも紋切り型だ。
ラストでは、偽装結婚した長田と真奈美が、長田の実家で並んで寝た夜、口づけを交わしていた事が回想シーンとして示されるが、彼女が長田に惹かれる描写がやはりまだ弱いので、取って付けたような作為性が感じられる。劇中で表情に乏しかった真奈美が、ラストのアルバムの中の写真では輝くような笑顔を見せているのが印象的なだけに、監督が浅知恵的な演出を色々と付け加えてしまっているのが残念。
音楽がいかにも説明的な感傷性の一本槍なのも、退屈さを増してしまう。逆に、音楽さえ良ければ作品全体もグッとひき締まっていたように思え、その点も惜しい。
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