[コメント] 圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録(1967/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
写真と字幕の説明。昭和42年、10年にわたる不正入学への反対ストライキ。退学等の処分がなされる。市職員が200人規模で投入されてスト潰し。入学式は市ホール。空手部や応援団からなる体育会が結成され介入。自民党市長4選。自治会予算は止められ、名簿提出が求められる。
ここからフィルムになる。大学記念式典で体育会と衝突。日本の伝統などの建学の精神の紹介。砂川闘争の衝突や、大会らしき大教室での報告の様子も中盤に挟まれる。防火水槽のような人工池で風呂替わりに泳いでいる。最後は地裁前、支援する裁判へ押しかけ、正門の処で機動隊ともみ合い。
学生ホール占拠。大学の呼び出しに関する学生たちの議論、19歳、20歳の面々。無精ひげと煙草。ここには退学処分者も含まれている。闘争継続に向けて組織戦術が大切だと語られる。新聞部と論争、ひとりだけの部員を大勢で取り囲み、議論を吹っかけ、これはいかにもやり過ぎである。部員はヘラヘラ対応して腹立つが、相手にしてみれば逃げたいばかりだっただろう。新聞部と決裂、とある。
親が出てきたら耐えられるかと語られ、実際に親が呼び出されて喧嘩になり「あんたらから金貰っていない」と論破している。この親、自分は金を稼ぐためにだけ生きていると簡単に云ってしまう。シニカルな人生観に反発するのは当然と思われた。この時分の学生は親との金銭関係には敏感、自活できない鬱屈を抱えているものだ。
大学当局ホールへ。「お前らそれでも人間か」「人間の皮かぶっているだけだ」と叫ぶ。学生ホールの占拠は帝国主義批判につなげられるのかと議論している。学生は夏休みで帰省、占拠は退学者ばかり。学生が広く参加しないのでは運動拡大にならないのだった。彼等はどうしようもなく孤立している。「学生処分は大学が抱えている根本的な矛盾だ」。
シンパの新聞記者の情報で、休み明けの8月1日前後に当局の動きがあるのかと噂があり、一旦退去するが当局は動かなかった。この終盤はサスペンスフル。疑心暗鬼の物語がうっ積している。
「その一点において」「主体的にかかわっていかねばならない」といったお決まりの云い回しを数珠繋ぎにする話法が本作ではたっぷり聞ける。この話法はいたい何だったのだろう。いかにも近寄り難く、運動を大衆から遠ざけた大きな要因のひとつだっただろう。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。