[コメント] 筑豊のこどもたち(1960/日)
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殿山泰司のキャメラ目線の解説から始まる。「石炭はもう駄目ですたい」。明治初年以来、石炭は日本を支えてきたと語られる(痴呆の入った加東の父は明治の思い出話を連発する)。大手は別、中小は悪い石炭割り当てられているから先に潰れると語られる。小泉博が引き継ぎ、しかし石油から原子力まで、エネルギー革命は止めようがないと語る。この知見は皮肉にも、子供たちを努力して連れてゆく修学旅行の見学で肉付けされることになる。
この中小の炭鉱停止中の失業者の描写は痛々しい。子供の取ってきたザリガニ喰らう加東大介。ネコなるアルコールは猫いらずとネンネコだと語られる。生活保護の織田政雄の「おれのモデルケースだからしっかりやってくれ」なる激励などリアル。大手炭鉱の長兄はストの宣伝カーに乗っている。子どもたちの関心事は金儲けだ。修学旅行費は2700円。米軍に忍び込んで金属拾いの金儲けは『劇映画 沖縄』などでも見られた描写。ただ、『太陽が大好き』で描かれたジプシーの存在は語られなかった。
解説していた殿山が途中で逃げてしまうのが何とも云えない展開だ。大手がストやっているから一時的に再開したものの立ち行かず、西村晃と組んで詐欺。殿山が失踪のふりをして、労働者が駆け付けると西村が「俺も騙されたんだよ」。労使交渉は西村ペースになる訳だ。巧いこと考えるものである。公団の松村達男に組合はワッショイワッショイと体当たりのピケ。松村はよく知っていてすぐ帰る。お忍びの国会議員は最終判断のために来たのだろう。炭鉱合理化法の執行でヤマは閉山。鏝でトンネルが塗りつぶされる。めかしこんで出かける娘の背中をキャメラはずっと追う。
自腹切る先生の小泉博に妻の福田公子は自己満足よと詰る。彼の最後の提案は、床屋も始めるという友人のビル所有者三橋達也を頼って息子を父親と別居させることだった。これがこの親子を救っているとは考えにくい。しかしもう、どうしようもないのだった。オートレースで金すって親子で歩いて帰る道のりは、この子にとって何という思い出だろう。ラストは児童憲章が掲げられる。
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