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[コメント] わが幼少時代のポルト(2001/仏=ポルトガル)

暗闇から指揮者のように記憶とイメージを誘導するオリヴェイラ。だがその肉声による語りは、記憶というものが、ただ私的な心象としてしか保存され得ない事、フィルムの到達し得ない彼岸の存在を示す。イメージの断片の再構成という、回想と創造の表裏一体性。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、既に廃墟となったかつての自邸の写真を観客に示しながらオリヴェイラは語る。「廃墟の写真になど、誰も何も感じないだろうが…」。写真の窓にズームして、かつてそこから自分が見ていた風景に思いを馳せる。ぼやけた写真の映像と、再現場面での、鮮明だが虚構である映像。「イメージ」という言葉の二重性(肉眼で見える対象/心的・個人的な印象)が、そこに示されていると言えないか。

若かりし頃のオリヴェイラが劇場で演劇に観入る場面では、オリヴェイラ本人が舞台の上の役者を演じている。また、自らの思い出を回想するナレーションにも、時折、若きオリヴェイラの声が介入してくる。化粧を塗って登場する役者、映画それ自体のイメージ群を統括する者として、虚構の創造者であるオリヴェイラが、自らの記憶の中の自己と向かい合い、対話するという入れ子構造。

その映画的構造に観客を引き込む場面として印象的なのは、かつてオリヴェイラがよく母親にせがんだという、車での夜の街の遠回り。オリヴェイラらしい長回しで、運転手の後ろ姿、車窓に覗く、光の幻のように浮かぶ街並みが、車の揺れによって幻惑的に現出する。そして、「そう、皆さんが御覧になっていたのは、彼の見ていた光景なのです」と言うように現れる、車内の若きオリヴェイラを捉えたショット。

こうした仕掛けが随所に見られる、結構愉しい映画だ。現在の街で再現された、古式ゆかしき撮影風景も、被写体にされているのは、ヘルメット姿の労働者が次々に出てくる光景で、『工場の出口』を連想させられる。その撮影風景の滑稽さもまた、オリヴェイラ自身の時間を越えて、映画の歴史の歩んだ時間を感じさせる。

エンドロールの、闇に明滅する灯台の赤い光。この明滅と共に、エンドロールの背景色としての黒と、現実の闇としての黒とが、呼吸をするように交替していく。灯台――船――海から世界へと進出していったポルトガル――闇に光を送り出し、世界へと開かれていく事としての、映画――。

(評価:★4)

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