[コメント] うた魂♪(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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もっとチャラけた作品だと思っていたので、あまりにもストレートな青春物で驚いた。
ラストのコンクールでのアンコールシーン、舞台に合わせて観客席も一緒に合唱しだすくだりなんて、大昔(<60〜70年代頃)の青春物なら当たり前のように描かれてきたシーンだ。それが80年代から、こういうものが「恥ずかしい」ということで否定されてしまって以来、こういう青春シーンはずっと作られなかった、いやずっと「作れなかった」ように思うのだ。それが、2010年も近いこの時代、こうして新たに作られたものを見て、ようやく「青春物=ダサイ」呪縛から作り手がようやく解放されたのか、と軽い衝撃を受けたのだった。そしてその衝撃は清清しいものだった。
私自身は、「合唱部の人たちの歌っている時の過剰な表情ってヘンだよな」というスタンスをとる人間だ。斜めから物を見て批評するのが好きだし、そういう見方や立場を支持する人間だ。そういう、一歩引いたような、斜めから物事を見るような、そういう見方が「熱で浮かれたような集団的な感情」に冷笑を浴びせ、そこにはびこる欺瞞や虚飾を壊してきたのだ。しかし80年代から始まったそういう観点が思えば長く続きすぎたのかも知れない。
「何か行動すれば批判されるリスクを負う」からと、自分は外野から批判だけして何もしない、というような態度ばかりをとり続けることはよくないのではないか。ことに若い人がそういう態度をとることは、何か大事なものを失ってしまっていく、若い人にそういう態度をとっていたほうが得だというような生き方を(結果的に)薦めることは、彼らが前へ進もうという力を遮ってしまっているのではないか、そういう気がする。だから、2008年にこうして「あれがダサイこれがダサイといってるほうがダサイ」というような主張を持った作品が出てきたことは凄くいいことのように思う。
「必死にやっている時の表情はブサイクだ。だけど自分がどんな表情をしているか?そんなことを気にしているうちは勝てない」という台詞はズドンとくる。そういう台詞がカッコを気にして躊躇しがちな背中を押してあげる役目を担ってくれるだろう。この作品は最初に斜めから見て主人公をからかう視点で、観客の共感をつかんだうえで、じっくりとそれをひっくり返す。「一生懸命やっている人のほうが、斜めから批評している人よりも「上」かな」と感じさせる。そのことに一応成功していると思う。
一応といったのは「一生懸命やっている人のほうが、斜めから批評している人よりも「上」かな」と思わせる際に、「斜めから批評しているほうが「下」なのだ」ということを、台詞に頼ってしまっているところだ。「斜めから批評しているほう」こそ観客の多数なら、それが「下」だということをこそドラマで味わわせないと、と思う。
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