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[コメント] ランボー 最後の戦場(2008/米=独)

起承転結の起と承だけで終わってしまうという特異な脚本は、怒りの強さに任せた結果なのか、監督・脚本家としての資質が欠如していたからなのか?
sawa:38

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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メッセージ色の濃さは冒頭のドキュメントフィルム使用から充分過ぎる程伝わってくる。監督としての怒りの程が分かる。この衝動は映画を製作する上で必要不可欠なものだろう。しかし、その衝動を上手に料理して一本の「娯楽アクション」にまとめ上げるのが監督の仕事であり、脚本家の仕事じゃぁないのだろうか?

本作の「あらすじ」は大変書きにくかった。通常の私なら、「プロの傭兵集団の案内人として再びミャンマーへ潜入するランボー。ただの案内人のはずだったのだが・・・」と書くところなんだが、この作品はそこまで書いてしまうとネタバレになっちゃうんですよね。言い換えれば、その先が無い。救出に行ったランボー。「だが、そこで待っていたのは・・・」「しかし事態は・・・」「その頃XXXでは・・・」こういった捻りが何も無い。これには本当に驚いた。まさかと思う程、直球というか単純な構成でラストシーンになってしまった。

登場人物の描き込みが薄いとか、寡黙な初老の男が変貌した時の驚きが本作のドラマとしてのポイントだろうとかの突っ込みレベルではないのだ。映画作品としての礎となる構成の段階での欠陥なのだ、これは。

本作が怒りに任せてスクリーンに叩き込むメッセージは強烈な暴力描写で充分過ぎる程伝わったと思う。これでもかというスプラッタな描写はミャンマーの抱える問題を無邪気な程単純化して我々に示してくれた。それはそれで良いとも思う。

しかし、転も結も無いドラマはややもすると不足したドラマから誤解も生じるかもしれない。自己責任で国境を越えるボランティア団体と、結果彼等が引き起こした多量の「死」。下手すると白人数人の命と引き換えに失われた十数倍もの兵士の命は何だったのだろうかなんて。

ボートでの傭兵のリーダーの台詞に実に映画的なものがあった。「悪魔(傭兵)が神(牧師たち)を救いに行く。」

この台詞をちょっとばかり膨らましていけばそれなりに深い作品になったんじゃないのかなぁと思うんですが、どうでしょう?この特異な「映画もどき」が立派な「作品」になるチャンスは無数にあったように思うのです。勿体無いことです・・・

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Lostie[*] すやすや[*]

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