[コメント] 最高の人生の見つけ方(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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絡みつく管に苛立って暴れるエドワードと、静かに物事を受け入れながらも、根底に強い意志を感じさせるカーター。出会いの場面からして既に二人の性格や役割が予告されている。エドワードは当の病院の経営者であるので、部下にあれこれと文句をつけるが、カーターは読書やクイズ番組で時を潰しながらも、最後まで豆スープには注文をつける頑固さもある。
カーターは、エドワードからの旅の誘いに乗ったことで妻から詰られるが、そのことによって、自分が家庭に縛られすぎて自由を失っていたことに気づく。思えば、彼が本好きのクイズ・マニアなのも、既存の知識を記憶して、テレビに向かって独り言のように答えるという、受動的な性格の表れにも見える。だが、旅先でエドワードが浮気相手として密かに用意した美女の誘いを受けた時、妻への愛情を再確認して、旅からの帰還を決意するのだ。このことはまた、友人にも自分と同じようにプロとして雇った女をあてがおうとして拒絶されたエドワードの、帰るべき場所も、自分の帰りを求める人もいないことをも感じさせて切ない。
カーターの妻は、少しヒステリックに夫を心配するあまり、彼の自由を妨げる存在ともなるが、裏を返せば、それだけ互いの人生に関り合う関係を結んでいるということだ。エドワードには、そこまで積極的に心配してくる他者はいない。代わりに彼には、クールで皮肉屋でもありながら、淡々と命じられた通りの仕事をこなす秘書がいる。彼は、帰りの飛行機の中でも、黙々とノートパソコンのキーを打っている。もしこの映画が感傷に流されてしまっていたなら、この秘書が擬似的な息子的役割を担ってしまいかねない所だが、その辺りは絶妙に抑制されている。旅から帰って後、会議中のエドワードに、カーターが倒れたという電話が入った時、この秘書が、要件は告げず、「出た方がいいです」と真剣な眼差しで助言する場面や、ラストシーンで彼が缶入りの遺骨を雪山の山頂に一人で置く場面は、ベタベタした感傷を彼が纏っていないからこそ感動的なのだ。
カーターは、結果的に妻の大切さを思い起こさせてくれたエドワードに、喧嘩別れした娘との再会を演出するが、エドワードがここで怒って言う台詞が良い。「この大金持に何をさせたい?ドアの前に立ってノックし、目の前に現れた娘が怒りを示して叫ぶ中、『俺はもうすぐ死ぬ。寂しいんだ』と言わせたいのか?」。これは、この手の映画がこの手の展開を行なったときに大抵、次に来る、お約束のパターンだ。それをハッキリ拒絶する所に、この映画がそのシニカルなユーモアの下に持っている、人生は映画のように甘くはないのだ、という真剣な姿勢が感じられる。
それでも、後にカーターが死を迎えようとする時に、やはりエドワードは「お約束」的に娘の所を訪ねる。これは、この映画にもう一工夫が足りない証拠ともなるのかも知れないが、しかしまた、やはり皮肉を言っていても、人が行き着くところはこうした「お約束」にしかならないんじゃいのか、大抵は…、というメッセージとも感じられる。
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