[コメント] 休暇(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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門井 肇監督は死刑を描くのではなく「是非を問えない制度が厳然としてある中、それに一番近いところに身を置きながらも、必死に自分たちの生活を構築していこうとする人々の姿」を描こうと努めた、と語っている(パンフレットより)。詰まり、この映画が描いたものは日本の(知られざる)現実だ。映画が独自に物語を起こし、監督や制作者が観客(や日本社会)に挑戦した訳ではない。
原作(吉村 昭)では刑務官=平井の「通過点」でしかなかったという死刑囚=金田(西島秀俊)の描写に考える所が多かった。金田はいわば「模範囚」であった。模範囚とは刑務所の掟に対して従順で抵抗を示さない、という事だ。これは一見金田の心の平安を示しているようにも見えるが、決してそうでは無いと思う。死刑になれば、全て無になる。全てに意味が無くなる。窮屈な刑務所の規則に従い続ける事、他人行儀な弁護士の指示に従う事、自分に纏わりつく「二人」の影にじっと耐える事…、死刑が近づいている事を(或いは自分が再審の見込みの無い死刑囚である事を)自覚した時、仮の姿で耐え忍んでいた金田は豹変する。足音に敏感な金田が「察した」時の死の恐怖は強烈であった。
死刑についての賛否は別にある。ここで描かれているのは死刑というものの本当の姿だ。死刑に賛成するひとも、反対するひとも、関心の無いひとも、死刑に無自覚な儘殺人を犯すひとも、その殆どが死刑の実際を知らないだろう。人間であり乍ら<死神>となる刑務官の心労を決して知らないだろう。
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