[コメント] BUG バグ(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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虫を指す単語「bug」は「キチガイ」を意味するスラングとしても使われるようだが、加えて、今回あらためて辞書を引いてみたところ、「盗聴器」とか「微生物」という意味もあるらしい。そうした複数の意味を踏まえてのこの題名なのだろう。そもそも脚本の発想そのものが「bug」という単語から湧いて出たのではないかとも思える。
目に見えるかどうかというほどの小さな虫、という素材そのものが、大きな役割を果たしてもいる。虫が居るのか居ないのかよく分からないと言って戸惑いを見せるアグネス(アシュレー・ジャッド)に対し、ピーター(マイケル・シャノン)は、次のように言って迫る。「‘分からない’なんて答えはない。看板にだって‘空き室あり’か‘空き室なし’かだろう?‘空き室ありかも’なんてのはない」。確かに現実問題として、何かが存在するかしないかは、二つに一つしか真実はないはずなのだ。だが、人が絶対確実な真実を得ることは、メタレベルまで考えればそもそも不可能なのだという発想は、このピーターには無い。そうして彼は性急に答えを求め、確信を得、その結果、傍目には生身の人間としか思えないDr.スウィート(ブライアン・F・オバーン)を平然と刺し殺し、その体から夥しい血が流れ出ようとも、「精巧に作られた偽物だ」と信じて疑わない様子なのだ。
アグネスがピーターの話に共感し、彼同様の確信へと至るのは、元夫ジェリー(ハリー・コニック・ジュニア)の暴力に脅え、夜は不安でたまらないと告白する彼女の縋りつける他者が、ピーターしか居なかったという状況が働いてのものだということは、容易に見てとれる。それに加えて、幼い息子、ロイドが行方不明になった責任をジェリーから責められていたアグネスは、その責をジェリーや、彼を買収した陰の組織なるものに押しつけることができるのは、一つの救済、解放でもあったのだろう。生死も不明なロイドと、本当に居るのかどうなのか分からない虫。その存在の曖昧さからくる不安に耐えられないアグネスは、ピーターと宿命的な絆を結んでしまうわけだ。
冒頭シーンで、アグネスの居るモーテルの部屋にかかってくる無言電話を、彼女は、ジェリーからのものだと断定するが、実際にそうだったのかは最後まで分からない。つまり、或る程度の条件さえ揃えば、人は確実な証拠がなくとも物事を断定するものだということ。真実の曖昧さの不安と、切迫感のある恐怖とが共にある時、人は、曖昧なX項に、恐怖の対象を当てはめてそれを答えとして確信する傾向があると言えるだろう。
モーテルの部屋に虫が居る、といってベッドの下などを探してまわる場面で、アグネスが「虫は殺さないでね、縁起が悪いから」と言うと、ピーターは「迷信だろう」と答えを返す。ピーターは、激昂した様子を見せる場面でさえ、一抹の冷静さを残している人物なのだが、その鉄面皮な確信にこそ、狂気が見てとれる。モーテルの部屋は、最初から、冷房の作動音、ヘリのプロペラ音、火災探知器の故障した音、アルミで覆われた室内を照らす青い電灯のジジジと鳴る音など、音という侵入物に介入されている。無言電話の呼び出し音は、より顕著にその侵略者としての面が際立っている。
コオロギの鳴き声だと思っていたものが火災探知器の故障した音だった、という場面では、ピーターは無条件に、存在しないものを存在すると言い張るような非理性的な人間ではないことが示されている。だが、それと同時にこの場面は、ピーターが主張する虫もまた何か別のものを勘違いしている可能性があることをも観客に感じさせるのだ。
湾岸戦争に出征した際、軍によって実験台にされたというピーター。彼がアグネスに言う「軍が兵士を大事にしていると思うかい?」という問いかけは、いまだに中東で軍事活動を行なっているアメリカの現状とのリンクによって、それなりに説得力を持つ。その「実験」によって強迫観念を持つようになった、と自ら告げるピーター。このことは、彼の言う「虫」がその強迫観念の表れではないかという疑いを観客に抱かせるが、その一方、何らかの精神作用に関する実験を実際に軍が行なっていたのではないかという、別の疑いも抱かせる。つまりピーターの話は、全くの妄想とは言えない、まさに「半信半疑」の話として聞こえるのだ。
後から現れるDr.スウィートに同行してきたもう一人の男の強圧的な態度も、軍やCIAといった話にいくらかの真実味を加える。もちろん、この男がアグネスに示した暴力的な態度が、背後の組織の存在を確証するわけではないし、スウィートがピーターの妄想と合致するような言葉をアグネスに話すのも、単に妄想に調子を合わせて話しているだけなのかも知れないのだ。
部屋がアルミ箔と青い照明に覆われた終盤のシークェンスは、視覚的に、或る一つの世界観に支配された状況を可視化させる。最後の炎上シーンは、青一色に支配された画面からの解放を感じさせる。だが、そのオレンジ色の火は、初めから、青い部屋の中にも蝋燭の灯として既に存在していたものでもある。
エンドロールに挿入される、二つの短いカット――ロイドが残した玩具。青い部屋で、刺殺されて倒れたスウィート。前者はカラフルな色彩のカットだが、後者は青一色。この二つのカットは、いわば原因と結果だろう。
ロイドの玩具が箱から出ていることに気づいたジェリーから、そのことについて訊かれたピーターは、「顕微鏡を取るために出した」と答える。虫という、おそらく実在はしていないであろう存在を探すために、実際に居なくなったロイドの不在という事実が掘り起こされる。不在が不在を掘り起こすということ。この場面でジェリーはピーターに、「アグネスが帰るまでに戻しておけよ」と告げるが、ここからは、ジェリーにはアグネスの心痛を気遣う気持ちが幾らかはあることが感じられる。しかしジェリーは、アグネスの部屋に勝手に侵入したことで、彼女の友人RC(リン・コリンズ)には「不法侵入」と批難されるし、最後も爆発、炎上するモーテルの外に閉め出されている。彼も終始「バグ」として扱われる存在だったわけだ。
母親として、息子の不在に苦しめられてきたアグネスは、ピーターとの対話の中で、元夫や親友との絆を断ち切り、自らを無垢な受難者として再定義する。その場面での、自身にとりついた寄生虫を指して、高らかに彼女が叫ぶ「スーパー・マザー・バグ!」。その時の彼女の表情は、絶望と同時に、殆ど宗教的な恍惚感さえ漂っている。
皮膚、血液への「bug」の侵入。それはつまり、外部と内部の境界の崩壊。一つの内なる強迫観念が即、外側に実在する現実として認識されることは、境界線の崩壊という構造と一なるものなのだ。生物学的、情報工学的なテクノロジーの浸透による、潜在的に普遍的な統合失調症。この物語は妄想でもあり、またこの時代の現実の一面でもあるだろう。
元々はオフ・ブロードウェイで話題になった演劇作品であったらしく、脚本が秀逸。前半と後半で作品の雰囲気が様変わりしてしまう意外さと、それでいて筋書きや人物像に一貫性が保たれている辺りは見事。ジャッドとシャノンの演技による貢献度は高い。
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