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[コメント] 小さな赤い花(2006/中国=伊)

未だ一個の人として認められていない過渡期の存在として、小さな赤い花というノルマを課されて教育される子らは、人未満の奇妙な生き物のよう。夥しいベッドの並ぶ部屋をかなりの高所から捉えた俯瞰ショットの、「群れ」として蠢く幼児たち。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







トイレ用に前も後ろも開きっ放しのズボンだとか、皆で縦一列に並んでのトイレだとか、全篇に渡って幼児らの尻が画面に頻出する。中国の慣習をそのまま画にしただけなのかも知れないが、この尻丸出し状態によって、幼児らが未だ人間以前の存在として位置づけられていることが視覚的に理解できる。

子どもたちの愛らしい幼稚園生活を、ちょっとした陰影の変化によって獄中生活のように映じさせもする演出が秀逸。それは、チアンチアン(ドゥン・ボウェン)が罰として独居房のような所に閉じ込められてしまうシーンや、兵士たちと幼児たちが向かい合うシーンなどに顕著なのだが、それよりも、リー先生(シャオ・ルイ)が猿の物真似を上手にやってみせる姿に、「リー先生は妖怪だ」と脅えるチアンチアンの反応が面白く、また、子どもの目線をリアルに捉えてもいる。先生として、彼女なりに子どもたちの為に努力していることが、当の子らには異様な光景に見えるという転倒。

リー先生が眠るベッドに向かって、幼児らが集団で床を這う光景は、チアンチアンという主導者による革命運動とも、単純で均一な衝動に駆られて這い回る虫の群れとも映じる。こうしたシーンをもって、何らかの寓話性を見出すことも出来るだろうが、むしろ子どもの世界の不思議な生態そのものが有する幻想性に魅入られる。

チアンチアンの傍若無人な振る舞いに、優しく愛らしいタン先生(リ・シャオフェン)も怒りの表情を向ける。チアンチアンの度の過ぎた悪さからすれば当然の態度ではあるのだが、チアンチアンの孤立を見つめ続けてきた観客の目には、タン先生の優しさもまた、チアンチアンの内面の微細な変化と何の関わりも無い、先生という立場の枠内での、些か抽象的な優しさに過ぎないのだと感じられる。

チアンチアンが大きな紙の花を宝物のように隠し持ち、仲のいい少女に見せて「あげる」と言うと、即座に「いらない」と突き返されること。独り脱走を企てたチアンチアンが、大人たちが大きな赤い花を飾りつけて行進する光景に直面すること。幼稚園内の価値評価と関わりの無い花が突き返されることと、幼稚園外の花が人の壁のように眼前に現れること。赤い花の愛らしさや祝祭性は、そのまま「呪縛」の象徴となる。

本作については「中国の画一的な教育体制への批判」という見方もあるようだが、そうした枠に限定されない、人が集団の中で生きていく中で生じる齟齬のひとつの表れを、淡々と観察した映画という印象。

(評価:★4)

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