[コメント] イキガミ(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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拠り所は法律だ。となると、ふと思い浮かべるのが戦争中に送られていた召集令状すなわち赤紙である。ただ、あの時は今で言う郵便配達人が事務的に渡していただけなので、この映画のイキガミとは随分様相が違う。イキガミを配達する松田は死亡予告をしたのち見届ける役目も負わされている。そのため、否でもイキガミの意味を考えようとする。
予告された者からすれば、これは例えばホスピスの限られた時間での空間と全く同じであり、人間、あと命がわずかだと知った時、これからどう生きて行くか、どう死んで行くのかということと同問題なのである。このテーマを3つのエピソードで追求している。
路上バンド出身の二人の生きる上での心の分かち合い。引きこもり少年の母親への嫌悪を通じて描く悪法への憤りそして廃法への想い、死と引き換えに妹へ捧げる角膜移植。すべてずしんと僕の胸を突く。3話目の1時間の誤差を病院全体が協力して成し遂げるそのやさしさに涙が止まらなくなる。べたべたと廊下の壁に張ってある注意ポスター。それを見ただけで号泣する。
でも、それでも、どうあがいても、死は確実にやってくる。その暗い足音にも恐怖を覚える。少し前だったら漫画チックで現実感に欠ける話でしょうが、現代でこれだけ格差社会を問われるようになると、このイキガミがものすごく他人事だとは思われない恐怖感をあぶり出している。映画の国繁死亡者は戦時中に戦争の名のもと死んでいったいわゆるわだつみの人と変わらないのである。
映画では確か彼ら国繁死亡者について切り捨てられた人たち、という表現をしていた。何かそぐわないなあと思ったが、(本来は国により抹殺されたと言うべきものではないか、、)瀧本智行は現代の格差社会での負け組を連想させているようでもある。
あと1日であろうと10年であろうと人間の命のあり方を問うているテーマ性はエンターテイメントの形式を採ってはいるものの的確であり、またひとりひとりの観客への訴求性は鋭いものがある。それは時代を超えて人間に根源的な問いかけをしているのである。
瀧本智行は「樹の海」でも秀逸なオムニバスを撮っていたが、同じくテーマは死と向き合うことにより生じる「生」であった。彼のライフワークになるかもしれませんね。
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