[コメント] アモーレ(1948/伊)
◎「人間の声」
洗面所で顔を洗うアンナ・マニャーニのショット。トラックバックして、壁の鏡に映った映像だと分かる。こゝから、マニャーニがベッドルームへ行くまで、鏡台と卓上鏡も使って彼女を見せる。この冒頭で鏡の映画かと思う。一話目は、全編、マニャーニのアパートが舞台。カメラは屋外へ出ないし、窓から外を映すこともない。登場人物はマニャーニ一人(人物ではないが、黒い犬は出て来る)。そして科白は電話での会話と独り言だけだ。電話は確か3回かかってくる。
というワケで、マニャーニの一人芝居に圧倒される映画だが、オフ(画面外)の音の使い方も、とても意識させられて面白い。隣室か階上か、赤ちゃんの泣く声や宴会のような騒ぐ音が聞こえてくる。あるいは、戸外、アパートの前の道路に自動車の停車する音。玄関前に人が来る音。また、電話の相手の声も、何を喋っているかは分からないが(字幕も出ないが)、かすかに聞こえている、といった処理が上手いのだ。
カット割りも見応えがある。電話で会話するマニャーニからゆっくりとトラックバックするショットなど。あと、神様、あの人を来させて、と連呼しながら玄関ドアに近づいて行く場面の移動撮影。こゝが、オフの音使いも含めて最も情感が盛り上がる場面だろう。マニャーニだけでなく、撮影、カット割りも見応えのある、いい短編だと思う。
◎「奇蹟」
夜の港みたいなショットがワンカットだけあり、次に、昼間の山の斜面から左にパンとティルトして、断崖とその下の海を映す。斜面の道に、放浪者のフェデリコ・フェリーニが登場。彼の陰からマニャーニが唐突に現れる見せ方。考えると、この時点で2人とも聖人のような登場の仕方とも云える。山羊。マニャーニは、山羊のための枯れ草(乾草)を集めていたのか。しかし、フェリーニを一見して、聖ヨセフ様とみなすのだ。喋りまくるマニャーニ。私を海に突き落として、一緒に天国へ!と。
結局、フェリーニは一言も喋らない。聾者もしくは唖者なのかも知れない。しかし、いい顔。何でもお見通し、というような顔をして笑っている。いつしかマニャーニは、ワインを飲まされて横になって胸をはだけて寝てしまう。起きると、フェリーニはいない。犬と山羊たちに手を舐められる。思いの外、山羊が多い。斜面を降りて行く。こゝまでで、二部もマニャーニだけが喋る映画かと思ってしまったが、教会の神父2人と会話するシーンになる。私も聖人に毎日会う、と云う神父と、そんな奇跡に会ったことがないと云う神父。こゝも面白い。
教会でリンゴ1個を盗むマニャーニ。それを見咎め、くれくれ、と付きまとうルンペン。このルンペンもいいキャラ。マニャーニは、教会の前のテラスのようなところで寝ているホームレスなのか、ルンペンが、マニャーニの所持品である、ブリキの缶を蹴りまくる場面なんかがフェリーニっぽい、と思ってしまう。
そして、町の人たちから、からかわれるマニャーニのシーン。彼女が馬鹿にされていると自分ですぐに気づくのがいいと思うし、一人の女性が町の人を止めるところが描かれているのもいい。冒頭から斜面だったが、町の風景も斜面であり、ラストは山羊に導かれて山の上へ向かうという、これは圧倒的な斜面の映画。やっぱり、画面造型も見応え十分だ。
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