[コメント] 君と行く路(1936/日)
しかし、成瀬の会話シーンの演出・カット割りは、もう魔法のような流麗さだ。何が描かれているかより、どう表現されているかを楽しむ映画ファンにとっては、これも得難い作品だと思う。
冒頭は海辺。画面奥から手前に走って来る佐伯秀男−夕次のショット。カメラにぶつかる手前で後ろ姿のショットに切り換え、画面奥へ走って行く。この後の佐伯と母親−清川玉枝の会話シーンで、それぞれ部屋の中を動かしながら、思いもよらないアングルで切り返すカット割りに既にうっとりしてしまう。こゝに、ジャズの劇伴のフラッシュフォワード処理があり、宴席の大川平八郎−朝次に繋ぐ構成もいい。日本間での宴会だが、ジャズのレコードに合わせて踊る男女が映る。窓の欄干から外を見る大川。本作は大川が主人公。彼の弟が佐伯だ。大川のシーンの次はジャズと対比するように、三味を弾く清川が繋がれる。兄弟の母−清川のバックグラウンドを推測させる。
他の配役を書いておくと、兄弟の亡き父の友人(?)で清川が「殿様」と呼ぶ、老け役の藤原釜足と、その若い後添い−お雛(おしな)−高尾光子。そして、大川の幼馴染の恋人カスミ−山懸直代と、その友人で佐伯が一目惚れしてしまう堤真佐子。この人たちが主要人物と云っていいだろう。ちなみに、お雛も元芸者であり、カスミの母もそうなのだが、清川と異なるのは、最終的に(後妻であれ)正妻としておさまったかどうかであり、この違いは決定的なのだ。
さて、もう少し目に留まった事柄を書いておくと、成瀬としてはまだトーキー初期(トーキー第一作は前年)と云ってよく、上に書いたジャズや三味線だけでなく、他の音楽の使い方にも忘れがたいものがある。まずはタイトルバックから何度もかかり、大川と山懸の間で「部屋にいる」合図のように使われる(レコードで流される)ドルドラ「思い出」(劇中では「スーベニール」と呼ばれる)。あるいは、山懸がピアノで弾き、堤に交代して弾き継がれるショパンの「雨だれ」も。
また、次の2つのフラッシュバック。1つは大川と山懸がバルコニーに出て会話する場面をゆったりとした移動撮影で捉えた後、波のショットを挟んで、以前、2人で道を歩きながら会話した情景を挿入し、さらに波のショットを入れて、砂浜で会話する現在の2人に戻る処理。もう1つは、山懸と堤の会話の中で、山懸の母親が抽斗の鍵を壊して大川からの手紙を取り出す回想を挿入する部分。この回想の最後に、山懸へ早いドリー寄りをする演出は、この頃の成瀬らしい。とは云え、ドリー寄りがうるさ過ぎることはなく、技巧的にも落ち着いてきているというか成熟を感じる。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (0 人) | 投票はまだありません |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。