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[コメント] R246 STORY(2008/日)

六人の素人監督たち(浅野忠信にはすでに監督作がありますが)。ユースケ・サンタマリアと浅野を除いてはろくに映画を見たこともなく、知識的にも感覚的にも「映画」を「知らない」のだろう。才能はむろんのこと、工夫・努力・勉強の跡も窺えない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







中村獅童篇:破滅的に酷い。あるいは、犯罪的に酷い。中村の演出はこの二〇分間あまりの映像を一瞬たりとも「映画」たらしめることがなかったが、録音・照明などこの素人監督が関知していなかったであろうテクニカルな事柄の程度までもがこうも低いというのはスタッフの怠慢ではないか。

須藤元気篇:これも商業映画の水準に達していない。台詞が悪い。リアリティを志向している台詞がリアリティの獲得を果たしていない。監督としての見所をほとんど持っていない須藤は役者としてもまずい演技しか見せていないが、しかしなにやら妙な空気をまとってもいて、奇跡的にうまく使えば面白い役者になるかもしれない(と思ったらすでに出演作があるんですね。どうなんでしょう)。

VERBAL篇:それなりに小器用にまとめているが、ドキュメンタリとしては底が浅すぎる。真面目だが独創性を欠く大学一年生のレポートのよう。これだけ日本のヒップホップの立役者(らしい人たち)を集めてもまったくゴージャス感・レア感がない、ということがそもそもこの映画の欠陥であり、日本のヒップホップ界のスケールの小ささのあらわれでもあるように思われる。英語字幕という「ポーズ」もダサい。

ILMARI篇:一応は商業映画のようになっており、殺人的に酷いというほどではない。スタッフが頑張ったのだろう。しかし石田卓也が酩酊して思い人と別の女を見間違えるというシーンのオーヴァ・ラップのようなエフェクトは不要。主観ショットと客観ショットがそれぞれひとつずつあればそれで事足りるはずだ。結局のところ感性が映画に向いていないのだろう。

浅野忠信篇:お話はさっぱりだし、がちゃがちゃしたショット構成もうまくいっていると思えないものの、ひとつびとつのショットには見所がある。画面に面白みがある。音響へのこだわりも感じられる。ところで、この映画を見ている最中なぜか『だいじょうぶマイ・フレンド』を思い出した。それはおそらく、この映画にとっては不名誉なことであり、私にとっても恥ずかしいことである。

ユースケ・サンタマリア篇:よい。刈り込んだ台詞とサンタマリア・永作博美の説得性に富む演技が短時間で倦怠感を現出させ、倦怠的であるにもかかわらず「なぜか弁当だけはやたら豪華」というささやかな異常性で観客を映画に引き込む。さらに適切な反復演出・編集が慎ましいながら楽しいドラマ性を生み、微笑ましいラストを導く。永作が婚姻届を書くにあたって下敷きとして「弁当箱の蓋」を使うというのも感動的なアイデアだ。

(評価:★2)

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