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[コメント] ホームレス中学生(2008/日)

どう頑張ってもやはり小池徹平は高校生以上に見えてしまう。結果、「中学生」であることから生まれ得る感情を取り逃がしているし、多分に「ネタ」と、作り物と映じてしまう。これは小池のせいではなく、キャスティング時点での失敗。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「ウンコ」と呼ばれる滑り台に寝泊りし、「ウンコ」のある公園の隅でウンコする、最低の生活を余儀なくされる裕(小池徹平)。その上、小学生たちから「お前がいるとウンコが臭くなる」「俺らのウンコを返せ」という、いかにも子供っぽい妙な言語センスで追い立てを食らう場面は、悲壮であると同時に可笑しい。だが、中学生である裕は本来ならこの小学生らと大して年も変わらないのであり、それ故に、その境遇の落差にも悲哀が伴うはずなのだが、小池が小学生より遥かに年上に見えるせいで、その辺の境遇が見えてこない。彼が野糞をするシーンも、中学生としてそれを演じる様子と、見た目の年齢に幾らか齟齬があるせいで、現実味がなく、いかにも作り物めいた光景に見えてしまう。自分に石を投げてきた小学生らと闘うシーンも、明らかに体格が違うので、裕の必死さが感じ難い。

加えて、裕らが自宅前に出された家具を発見して戸惑うシーンも、そのマンションにしても家具にしてもあまりに小奇麗で、現実味がない。雨をしのぐ為に裕が電話ボックスに籠もるシーンも、そこから顔を出した裕が空腹のあまり地面の草を食う箇所では、その青々とした草に食欲を覚える感情が理解できたのだが、続いてダンボールを食う段になると、いかにも「食って下さい」と言わんばかりに電話ボックスのすぐ外にそれが落ちていることや、裕がダンボールを前に、飢えと躊躇に揺れるような様子が窺えるカットが欠けているせいで、ダンボールを食うという行為への飛躍というか転落感が見えてこない。この場面もまた「ネタ」に見えてしまう。

終盤の、裕による家出シークェンスになると、俄然、映画らしくなってくる。公園の「ウンコ」の向こうを横切って、自転車に乗った裕が画面左から右へ走っていくカットが、裕が家に戻るシーンでは、逆に右から左へ走っていくカットとして挿まれること。家出の際には、裕が線路の横を走るカットで電車に追い抜かれていることにより、彼の停滞感が感じられる一方、帰りのシーンでは、電車が走っていない線路の横を走る裕が、急に元気に漕ぎ始めることで、家に帰ることを自分で決めた裕の清々しい解放感が感じ取れること。そんな彼を、兄・研一(西野亮廣)が電車の窓から見守っていること。兄に牛丼を奢ってもらい、「姉ちゃんには内緒やで」と言われていた裕が帰宅すると、姉ちゃんの幸子(池脇千鶴)が裕に置いて行ったおにぎりを見つけること。裕が出て行くシーンでは「ウンコ」の画の前に裕が自転車に乗って画面奥へ走って行くカットが挿まれていたが、帰りの「ウンコ」前には、幸子がスクーターで画面奥へ走って行くカットが挿まれ、彼女と裕の和解が、同一カットの反復という形で予め示されてもいる。

また、これらのシークェンスで活かされている「電車」と「自転車」は、裕が父(イッセー尾形)と再会し、またあっさりと別れるシーンにも登場していた。自転車に乗って唐突に現れた父と短い会話を交わした後、父を見送る裕の表情を捉えたショットでは、彼の頭上背後でモノレールが、裕の背後へと消えていく。

そもそも、家出に先立って裕が沈み込む、幸福の中での淀んだ停滞感も印象深い。特に何をするでもない、独り居る海辺のシーンが心に残る。

その一方、裕が友人宅で夕食をご馳走になるシーンで、味噌汁やご飯をスローモーションで捉えたカットがあるのは頂けない。あのシーンで裕が、ごく普通の夕食というものをどれほど有り難く感じているかは観客には分かっているのだから、スローにする必要がない。スローモーションの何が気に入らないかというと、スローにすれば観客は否応なしにその被写体に注目させられるわけで、筋の運びや、視覚的に与えられた画から、自ら、白米の柔らかさといったようなものを感じ取る自由が排除されてしまうからだ。つまり、観客を信じていない演出。このことは、ベタな劇伴でセンチメンタルな感情を搾り取ろうとする姑息さが端々に見えることとも相通じる点だ。

家出シークェンス中の、裕が兄と牛丼店で交わす会話は特に名シーンなのだが、惜しむらくはやはり、裕=小池徹平が中学生に見えないこと。裕は兄に、頑張っていればお母さんに会えると思っていたが、いしだあゆみの死によって、それは錯覚だったと気づいた、と語る。これは、「頭では分かっていたが、心では分かっていなかった」というレベルの話だと解釈しても、やはり中学生としての幼さがしっかりと残っていない限り、説得力が出ない。兄が裕の牛丼に紅生姜や七味を大量に入れる強引な優しさの味わいも、そんなものを大量に入れたがらないであろう中学生としての裕がそこに居ないせいで、不発に終わった感がある。

確か、小池が主演を務めたのは、他ならぬ田村裕本人の希望によるものだったと思うが、これは大失敗としか言いようがない。関西弁に無理がない点だけは長所だが。

イッセーは巧く誤魔化していたが、古手川祐子の関西弁はかなりギクシャクしていて違和感がある。格好をつけてこんな美人女優を呼んでくる必要がどこにあるのか。小池と並んでミスキャスト。

(評価:★3)

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