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[コメント] マーニー(1964/米)

ロッカーの鍵捨てます。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ほぼ完璧で、いま観ても新鮮。常習的犯罪者の幼少期に探り、その異常な人格形成に迫るというモチーフを持つ作品は多いが、その8割方は本作の不出来な反復にすぎないからだろう。

 一人で闘ってきた女の物語だ。ただ母の愛を得たいがために。母の愛を繋ぎ止めることを目的に。

 聡明な彼女は、台詞にもあったように闘い方も一人で学んだ。世間と闘うすべを、世間から学んだのだ。どういう状況で、どう振る舞えば、世間に受け入れられるか。どういう能力が必要とされるか。優れた観察者であったことだろう。例えば赤色への彼女の拒絶反応は明かに異常で、人格的な破綻の兆候を示している。周囲を不安にさせているのに、彼女にはそれが気にならない。自分の感情だけは、彼女にとって観察の対象ではなかったからではないか?

 頭も相当に良い。これも描かれていたように、心理学の学術書の1、2冊は読んでいて、それを自分のもののように応用することができる。ただ彼女には、知識があるにも関わらず、自分の感情が心理学の理屈どおりに動いてしまうことを予期できない。自分の感情だけは、分析の対象ではなかったからではないか?

 一方で本作は、一つの男気の物語でもある。彼女のそういった性質を見抜き、それに興味を持ち、その中に奇跡的に残されている原石のような“善”に気づいた一人の男の。自分ならその“善”を解放してやることができると信じ、自分を鼓舞して、それに全力を傾けた一人の男。

 彼は、彼女の表面的な反応にではなく、心の動きに耳を澄ますことができる。常に彼女にとって本当の最善が何かを配慮することができる。世間の常識や倫理観に捕らわれず、悪意や邪推をはね除けることができる。非難や告発から彼女を守ってやることができる。そしてときには強引に、でも辛抱強く、彼女が心を開くのを待ってやれる。

 これを愛と呼べるのかどうか知らないけれど(呼んでやりたいが)、強い信念と底抜けの楽観主義に裏打ちされていることは間違いないだろう。裕福な家庭に生まれ、不自由なく育った人物に、こういう心の鷹揚さが育まれるものなのだろうか。そうではないかもしれない。だが映画の中では、そうであるとしておいてよいのではないか。

 彼にも、屈折がまったく見てとれないわけではない。亡妻のコレクションが嵐に壊されても、何ら感慨を示さない。だが、この点は深追いされない。映画作品としては当然の選択だと思う。

 もし自分(=俺)だったら、と考えてみる。平然と嘘をつき、平然と物を盗む彼女の性質を、とても許せそうにない。だから自分だったら、彼女の前で彼のようには振る舞えないだろう。もちろん、彼のように機知に富んだ会話を飛び交わせる自信もないけれど。

 ただ、脚本があれば、台詞が与えられていれば、彼の役を演じることはできるように思うのだ(当たり前か)。役者のトレーニングを積んでないから、一から始めなきゃ無理だけどね。

   ☆  ☆

 ロッカーの鍵、捨てちゃ駄目だよね。係の人が困ると思う。でも、CG はおろか特撮などないし、これはどうやって撮ったんだ?と思わせる要素なんかまるっきりないのに、食い入るようにシーンを見つめてしまう。なんなんだこれは。

 ポッケに突っ込んだ靴のシーンもそう。あー落ちる、落ちる、落ちる、落ちる、アー落ちたー、みたいな。なんなんじゃそりゃ。

   ☆  ☆

 主演のティッピ・ヘドレンのみ、クレジット表記が“Tippi” HedrenとTippi がダブルクオーテーションで囲まれている。こんなクレジット初めて見た。『五番町夕霧楼』の“そして 佐久間良子”みたい。

90/100(14/09/16見)

(評価:★5)

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