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[コメント] 七夜待(2008/日)

タンクトップ姿で駆けたり、マッサージに恍惚の表情を浮かべる長谷川京子の艶っぽさと、タイの空気と色彩が相俟って醸し出す官能性。だが河瀬の、頭は使わず体で感じたままに撮ったような、感覚と感情のパッチワーク的作風は、やはり僕には馴染めない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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このブツ切りにされたような編集それ自体については、一つの手法として否定するつもりはない。だが、終盤の、互いに言葉が通じない三人(彩子、アマリ、グレッグ)が叫び合い取っ組み合うシーンに代表されるような、想いや感情を言葉なり何なりの形にして他者に伝えるのに必要な「溜め」なり「躊躇い」なりが完全に欠如した、河瀬の幼稚さがそのまま表面化した結果がこの編集手法、という印象が拭えない。その瞬間に感じたことをそのまま定着させた映像を、断続的に重ねていくという、感覚的な制作姿勢。

彩子が何をしにタイに来たのかも分からないので、タイ語どころか英語もロクに話せない様子の彼女が、いちいちの出来事にヒステリックに反応する様には、多少うんざりさせられる。河瀬の「父の不在」というテーマがタイ人親子に投影されているのはいいのだが、僧侶になることを拒んでいたトイは、行方不明になった後、それこそ言葉なり何なりでのフォローも無いまま知らぬ間に剃髪され僧院送りに。話の筋が抽象化されているのは構わないが、感情面でのわだかまりが、出家シーンの映像美と、彩子の涙や、唐突な踊りと笑顔でスルーされてしまうのには、違和感が残る。

彩子が「日本はすごく平和。皆豊かだけど、アマリみたいな温かさは感じていない」と泣き顔で語っていた言葉が、息子の行方不明に動転しヒステリックになったアマリの「あんたたちは物は豊かでも人の心が分からない」という批難で毒を放つ辺りの批評性は悪くないのだが。これは「父の不在」の喪失感を、日本という国の在りように投射したということでもあるのだろう。その意味ではやはり、彩子が日本を出た理由についてもう少しフォローがあって然るべきだったようにも思える。

この河瀬直美という監督、以前、確か『火垂』制作時のドキュメンタリー番組だったと思うが、中でインタビューに答えて曰く、「作品なんてどうでもいいでしょう、生きてることの方が大事でしょう」的なことを熱心に語っていたけれど、この姿勢がそのまま制作スタイルに反映された様にはどうも違和感を覚えずにはいられない。同じく脚本に決まった台詞を用意しない手法を使う諏訪敦彦が、カメラの前の出来事の観察者としての印象が強いのに対し、河瀬はその場の状況に体ごと参加している印象があり、そうした所は嫌いではないのだけど。

(評価:★2)

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