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[コメント] 感染列島(2008/日)

人物造形が多分に記号的。なのでそいつらが血ヘド吐いたり泣いたり叫んだり死んだりしても、大して胸を打たない。感傷的な音楽の挿入にもうんざり。今どきこんな芝居がかった台詞を吐かせる神経も理解不能。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あからさまに演出家の都合に合わせて降る雨や雪も、もう少しさり気なく出来ないのか。演出も脚本も本当に下手。この長尺が全く無駄に思える、つまり不要なシーンが多すぎるという点にも不手際が表れている。削ぎ落とせば90分でも可能なはずだ。もっとタイトにした方が良い場面でも冗長な蛇足が常につきまとうし、意味ありげに挿入された要素も殆ど何の機能も果たしていない。

序盤の雰囲気からして、ウイルスが媒介となって人々の間に憎悪が蔓延する心理ドラマを描きたいのかと思いきや、そうした要素は早々に後退してしまう。まともな対処の仕方では感染が食い止めきれず、日本中がクレージーな様相を呈し始めた辺りで登場する、いかにも胡散臭いカンニング竹山が、むしろその胡散臭さが頼りがいのありそうな印象を与えてくるのだが、ウイルスの正体は?という話も、特にサスペンスを盛り上げることなく淡々と進行。テロの疑い云々という噂も曖昧なまま後退し、政治的にも科学的にも調査の過程が興味をそそらない。事態解決の鍵となるワクチン開発も、結局ラストに字幕で処理。

「何が言いたかったのか?」という問いをいちいち引き受ける義務が映画監督にあるとは思わないが、「何がしたかったんだ?」という疑問くらいは引き受けてもらいたい。類型的な架空の人物たちが生き死にをする様を、古臭く安直な演出と台詞とで描きかったのなら、最初からそう言ってほしい。観ないで済むから。

ラスト・シークェンスでの、妻夫木聡壇れいとの出逢いを回想するシーンなど、初めて感動的なシーンが曲がりなりにも成立しかけていたのも、敢え無く潰されてしまう。妻夫木が、助手として挨拶する壇の清楚な美しさに刺激された様子で、医師になった理由を、軽い口調で訊ねる場面。壇は、凛とした姿勢を崩さず、だが目を潤ませ、僅かに声を震わせ、弟が病で亡くなる前に、彼女に、医師になって、自分のような患者さんに、明日に希望はあると伝えてあげて、という言葉を遺したという話を語る。ここで仮にこの弟の姿が映像として現れていたら、下手な演出のせいで潰されていたかもしれないが、壇の演技の力一本で支えられたこの台詞は、胸に迫るものがあった。だが、この後も例によって、壇の台詞が長々と続く。「‘たとえ明日世界が滅びようとも、君は今日、林檎の木を植える’。弟が好きだった言葉です」。立て板に水を流すような調子で語られる台詞に、高まりかけた感動も萎えてしまう。

この回想の後、妻夫木が枯れ木の前で泣きながら壇に語りかけるシーンも、「どうして忘れていたんだろう。君は木を植えるよ」云々の台詞の陳腐さやら何やら、最後までこの調子かよと。壇が養子に迎えたらしい少年の話も、まるで印象に残らないし、話として出てくる必然性も感じない。万事がこの調子で、何かそれらしいエピソードを連ねていけば「感染症による地獄絵図と人間ドラマ」が描けたことになるとでもいった安直さにいちいち苛立たせられる。

鑑賞後、何か荒涼とした気分が残るのは、ただ一点評価できる、都市の黙示録的な壊滅の光景のおかげではあるだろう。だが、機能停止しカオスと化した街という状況も、「日本は大変なことになりました」という状況説明以上の機能は果たしていないのが勿体ない。もっと物語と有機的に結びつけるべきでは?第一、街は「人が居なくなった」というより、最初から誰も居なかったんじゃないかという印象を受ける。そこが確かに人の生活する場であったということが感じられる画が無い。万事が説明的で、人や状況を描く上での繊細さが欠けている。

また、荒涼とした気分が残るのは、映画としての出来そのものが荒涼たるものであったことも働いているのだろう。これはむしろマイナス面。出演陣が結構豪華な割りに、全員が地味な演出に吸収されて記号と化してしまうという点で、この演出の感染力は恐ろしい。先述したカンニングの怪しさも、馬渕英俚可の不穏な表情の演技も、面白さを発揮し得ないままただの脇役として終了。田中裕二も気のよさそうな夫という記号として消費されて終わりで、携帯メールを「魔法の手紙」などと娘に語るその台詞の幼稚さには呆れる。携帯電話のようなごく当たり前の卑近な道具に「魔法」というメルヘン・ワードを与えるなど、発想がジジ臭すぎる。養鶏場の光石研も終始謝ってばっかりで、「謝りながら死ぬ男」という以上の存在ではなく、これもまた記号。彼が首を括ったところで、当方には何の驚きも感情も湧いてこない。

一か八かの治療法に自らの身命を賭した壇が病床で流した涙が、妻夫木の前で死んだ際に流れる血の涙の残酷さに至ることや、ボーイフレンドを遊園地で待つ少女(夏緒)が、無人になった遊園地に喜んで「わーっ」と叫ぶ行為が、後のシーンでの、自転車に乗りながらの絶望の叫びとしての「わーっ」を用意するとか、そうした小手先の演出よりも、もっと肝心要なところに演出力を注ぐべき。

聞くところによるとこの映画、韓国に輸出された際に勝手に編集されてしまい、問題になったらしい。普通に考えれば論外な行為だが、殊この映画に関して言えば、どうぞ勝手に切ってやって下さいと言いたくなる。切りたくなって当然だろう。あんないい加減な結末も改変されて当然とさえ思える。バッド・エンドの方が却って余韻の残る作品になったのではないか?

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)はしぼそがらす[*]

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