[コメント] チェンジリング(2008/米)
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1928年にロサンジェルスで実際に起こったゴードン・ノースコット事件を題材に、ヨーロッパの民話“取り替えっ子”を意味するタイトルを冠した物語。
もう80歳を目前となったイーストウッド監督。普通この年齢になれば大抵は監督を引退するか、さもなくば自分の好きなもの、軽いコメディ調のものを作ったりするのが普通だと思うが(黒澤明や新藤兼人なんかがその典型的例だ)、この人は全然枯れてない。と言うか、ここまで挑戦的な作品をまだ作るのか?と、呆れるほどに感心。いや、ほんとによくこの歳でこんな重い物語を作れるよ(勿論褒めてるんだよ)。
物語もきちんとしているが、ここに内包されているのは現代に通じるものばかりで、しっかり社会問題を直視しており、しかもそれに対して一般の人間が出来ることは何か。色々な問いかけが投げかけられてる。ここに挙げられてるのは幼児誘拐、官憲の腐敗ぶり、精神病棟のあり方、大衆に出来る社会運動の勇気について、死刑囚の扱い方、死刑問題そのものに対して。と、実際多岐に渡り、それぞれについてこの映画をベースとして長いレポートが書けそうな問題ばかり。見事な社会派作品になってる。
それらの社会問題的考えで共通するのは、人々の普通の社会生活を脅かす存在との戦いについて語っていると言うこと。
例えばここで幼児誘拐というものについて考えてみると、イーストウッド作品には特に近年になり幼児誘拐を題材にした作品が多い。本作の場合は残された親についてのストレートな内容になっているが、他に誘拐犯の方を主人公にした『パーフェクト・ワールド』があるし、PTSDとしての幼児誘拐を描いた『ミスティック・リバー』もある。それぞれに視点を変えつつ幼児誘拐について描き続けてきたわけだが、イーストウッド自身がこの問題についてどれだけ考えているのかというのが分かる。おそらくこれはイーストウッドなりの正義の考え方にまとまるのだろう。イーストウッドの正義とは、力を持つものが、普通の生活を幸せとしている人間を脅かす悪意と戦うこと。その際自分を悪に染めても戦い続けるという構図にはまる。
それと完全に離れるのが、弱者を虐げる存在になる。それがいくら社会正義を主張したとしても、弱者を迫害した時点でイーストウッド作品の主人公はそれを断罪する。本作ではそれは実際に子供を誘拐したゴードンだけでない。いわば子供を失った女性を虐げるような社会に対してもその矛先は向けられてる。ここでは過激な牧師役を演じたマルコヴィッチがその役柄になってるが、どこか悪者っぽさを持たせてるのも、なるほど頷けるポイントだし、ジョリー演じるクリスティンが息子を奪った存在に対しては、決して妥協せずに戦い続ける姿にも重なる。罪を告白しようという、そして絞首刑に処せられるゴードンに対し、決して目をそらさずに見守っている事からも分かる…ああ、そうか。これは女性版の『アウトロー』と言っても良いんだ。
後、イーストウッドは女性を上手く撮る、というか、女性の演技力を引き出す事に長けた人で、ここでのジョリーの演技が又素晴らしい。ジョリーと言えばアクション女優としてしか見られなかったのに、本作の母性本能に溢れた姿、特に取り乱した時に顔のパースまで狂うような歪んだ表情には、素直に脱帽。この人こんなに上手かったのか。それに驚いたよ。
演出もソリッドにまとめてあり、特にゴードンの農場への踏み込みシーンはどことなくフーバーの『悪魔のいけにえ』(1979)を思わせ、あたかもホラーシーンっぽくて、ちょっと怖くて目を伏せてしまうほどの緊張感。社会正義がそのまま人を押しつぶす機械的構造を灰色の壁で演出する方法など、本当に見事。
…と、本当に褒めてばかりなのだが、一つだけ致命的なのは、本作は「楽しくない!」という一言に尽きる。てっきり娯楽作品だと思って観に行ったのに、こんなに重いのを叩きつけられてしまってはなあ…実際観終えた後で消化が無茶苦茶悪い。久々に本当に精神に来る作品を劇場で観てしまったし、途中からは「早く終わらないか」と時計をちらちら見ながらだったから…私には精神的にきつすぎた。せめて終わりだけでももうちと希望が持てるようなものにできなかったものか?その点のみで点数を落とさせていただいた。
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